フィリピンの科学技術と研究開発 ― 制度・予算・人材・宇宙・AIの現在地
フィリピンの科学技術(Science and Technology, S&T)は、「制度と組織は先進国並みに整っているのに、投入する金と人が足りない」という一点に集約される。省庁も宇宙庁も国立研究所群も揃っているが、研究開発費の対GDP比はASEAN下位に沈み、研究者密度は近隣国の数分の一である。一方で2025〜2026年には、国家AIセンターの開設、地球観測衛星MULAの打ち上げ準備、液体燃料ロケット計画、ウエハーファブ構想など、政策の「面」が急に広がった。本稿はその全体像を、数値の出所と年を明示して整理する。
1. 全体像 ― 何がどこにあるか
| 領域 | 中核機関 | 原語表記 | 位置づけ |
|---|---|---|---|
| 総括官庁 | 科学技術省 | Department of Science and Technology(DOST) | 閣僚級。1958年設立の科学開発庁が前身、1987年に省へ昇格 |
| 気象・天文 | フィリピン大気地球物理天文局 | PAGASA | DOST傘下の現業官庁 |
| 火山・地震 | フィリピン火山地震研究所 | PHIVOLCS | DOST傘下 |
| 宇宙 | フィリピン宇宙庁 | Philippine Space Agency(PhilSA) | 2019年宇宙法(RA 11363)で設立。大統領府直属 |
| 農業研究 | フィリピン稲研究所/国際稲研究所 | PhilRice(DA傘下)/IRRI(国際機関) | IRRI本部はラグナ州ロスバニョス(Los Baños) |
| 保健研究 | 保健研究開発評議会 | PCHRD | DOST傘下の分野別評議会 |
| 産業・エネルギー・新興技術 | PCIEERD | ― | 半導体・AI等の研究資金配分 |
| 農林水産・天然資源 | PCAARRD | ― | 同上(農業分野) |
| 先端技術研究 | 先端科学技術研究所 | DOST-ASTI | 高性能計算・AI・地球観測データの実装部門 |
注 よくある誤解①:PhilSAはDOSTの一部ではない。2019年フィリピン宇宙法により大統領府に直属する独立機関として設置されている。ただし予算・人材・共同研究の面ではDOSTと密接に連携し、宇宙評議会(Philippine Space Council)にはDOST長官も参加する。
注 よくある誤解②:IRRI(International Rice Research Institute、国際稲研究所)は「フィリピンの機関」ではない。フィリピン政府が本部を誘致した国際農業研究機関であり、CGIARの一員。所在地がロスバニョスというだけで、運営・資金は多国間である。
2. DOST(科学技術省)― 役割と予算
2.1 役割
DOSTは、(1) 研究開発institutes(産業技術開発研究所ITDI、食品栄養研究所FNRI、繊維研究所PTRI、原子力研究所PNRI、金属産業研究開発センターMIRDC ほか)、(2) 分野別研究評議会(PCAARRD/PCHRD/PCIEERD)、(3) 現業サービス(PAGASA、PHIVOLCS、フィリピン理数高校システムPSHS ほか)、(4) 科学教育院(DOST-SEI)を束ねる。研究の「実施」「資金配分」「現業」「人材育成」を一つの省で抱える構造で、日本でいえば文科省・気象庁・防災科研・JSTを合体させたような組織である。
2026年8月時点の長官(Secretary)は Renato U. Solidum Jr.。2026年6月の宇宙評議会、2026年8月のEUとのAI協力発表でも長官として登場しており、現職と確認できる(出典:The Manila Times 2026-06-07、DOST公式 2026年8月)。Solidum氏は元PHIVOLCS所長で、地震学者出身の長官という点はフィリピンの防災重視を象徴する。
2.2 予算の推移
| 年 | DOST予算 | 種別 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 2000年 | 27億ペソ | 実績 | BusinessMirror(2024-10-31) |
| 2010年 | 52億ペソ | 実績 | 同上 |
| 2024年 | 269億ペソ | 実績 | 同上 |
| 2025年 | 284億ペソ | 提案額 | 同上 |
| 2026年 | 304億ペソ | 要求額 | Rappler(2025-08-26) |
| 2026年 | 301.30億ペソ | 上院財政小委勧告額(+13億ペソ) | The Manila Times(2025-11-27、Camille Villar上院議員) |
注 2026年の確定(GAA成立)額は本稿では未確認。上表の2025年・2026年の数字は提案額・勧告額であり、確定値ではない。「フィリピンの科学技術予算は約300億ペソ」と語る際は、確定値か提案値かを必ず区別すること。
規模感:300億ペソは概ね5億米ドル前後(為替次第)。国家予算全体の1%にも遠く届かない。25年で約10倍に増えたが、同期間の名目GDP拡大と物価上昇を考えると実質の伸びは緩やかである。
2.3 研究助成の実績(政府公表ベース)
DOSTの研究助成プログラム(Grants-in-Aid, GIA)は、2022年7月〜2026年6月15日に824件のR&Dプロジェクトへ計126.4億ペソを配分した(出典:DOST公式ニュース、2026年施政方針演説=SONA関連発表)。分野は保健・農業・産業・防災・デジタル変革。
3. 研究開発費(GERD)の対GDP比 ― 東南アジアでの位置
3.1 数字
フィリピンの研究開発費(GERD)対GDP比は、世界銀行/UNESCO統計で 2020年 0.28% が最新の公表値である(世界銀行API、指標GB.XPD.RSDV.GD.ZS、2026年8月取得)。2021〜2024年は同データベースに数値が入っていない。
| 年 | GERD/GDP |
|---|---|
| 2011年 | 0.11% |
| 2013年 | 0.13% |
| 2015年 | 0.16% |
| 2018年 | 0.32% |
| 2019年 | 0.26% |
| 2020年 | 0.28%(最新公表値) |
| 2021〜2024年 | データなし |
注 新旧の数字が混在している:「0.32%」(2018年のピーク値)を最新値として引用する記事が少なくない。実際にはその後0.26%(2019年)→0.28%(2020年)と低下・横ばいしている。2018年の0.32%は最新値ではなく過去のピークである。
3.2 ASEAN比較(各国の最新入手年)
| 国 | GERD/GDP | 年 | 研究者数(100万人あたり) | 年 |
|---|---|---|---|---|
| シンガポール | 1.81% | 2022年 | 8,782人 | 2022年 |
| マレーシア | 1.01% | 2022年 | 1,218人 | 2022年 |
| タイ | 0.94% | 2023年 | 1,592人 | 2023年 |
| ベトナム | 0.41% | 2023年 | 836人 | 2023年 |
| インドネシア | 0.28% | 2020年 | 395人 | 2020年 |
| フィリピン | 0.28% | 2020年 | 320人 | 2020年 |
出典:世界銀行(原データはUNESCO統計研究所)、2026年8月取得。
注 比較年がそろっていない点に注意。フィリピンは2020年、タイ・ベトナムは2023年の値である。「フィリピンはASEAN最下位」と断言する前に、比較年のずれと欠測を踏まえる必要がある。少なくとも「シンガポール・マレーシア・タイの半分〜3分の1以下、ベトナムより低い水準」とは言える。
UNESCOが途上国に推奨してきたベンチマークは対GDP比2%であり、フィリピンはその7分の1程度にとどまる(出典:BusinessMirror 2024-10-31)。ASEAN平均は0.6%程度と報じられている(同記事、2023年OECDデータ引用)。
4. 研究人材
フィリピンの研究者数は 100万人あたり約320人(2020年、世界銀行/UNESCO)。タイの5分の1、シンガポールの27分の1である。
注 紛らわしい数字:メディアでは「100万人あたり708人(2018年)」という数字も流通している(出典:BusinessMirror 2024-10-31)。これは「研究者(researchers)」ではなく「R&D人材(R&D personnel、技術者・支援職を含む)」の密度であり、定義が違う。同記事によればR&D人材の総数は25,021人(2015年)から75,037人(2018年)へ約3倍に増えた。定義を混ぜて「フィリピンの研究者は708人/100万人」と書くと誤りになる。
人材パイプライン
| 制度 | 内容 | 最新の数字 |
|---|---|---|
| DOST-SEI学部奨学金 | 理工系学部生への給付奨学金 | 2026年度の新規採用は8,500人が上限。予算制約が理由と当局が説明(GMA Network 2026-02-05、The Manila Times 2026-02-05) |
| フィリピン理数高校(PSHS/通称Pisay) | 全国16キャンパスの国立理数系高校 | 2026-2027学年度:応募27,965人、合格1,738人、定員1,920人(The Manila Times 2026-04-04) |
| PSHS拡張 | Expanded PSHS System Actにより各地域2校以上へ | 10キャンパス増設が目標。施設整備だけで1キャンパス約3億ペソ、運営を含め最大10億ペソ規模(同上) |
注 2026年に「DOST奨学金が8,500人に削減された」という投稿がSNSで拡散したが、DOST-SEIの説明は「予算枠に応じた採用数の設定」である。制度廃止でも不正流用でもない点は押さえておきたい(The Manila Times 2026-02-05)。
5. 大学の研究力と世界ランキング
5.1 QS世界大学ランキング(2027年版、2026年6月公表)
| 大学 | 原語 | 2027年版 | 2026年版 |
|---|---|---|---|
| フィリピン大学 | University of the Philippines(UP) | 402位 | 362位 |
| アテネオ・デ・マニラ大学 | Ateneo de Manila University | 581位 | 511位 |
| デ・ラ・サール大学 | De La Salle University(DLSU) | 751〜760位 | 654位 |
| サント・トマス大学 | University of Santo Tomas(UST) | 951〜1,000位 | 851〜900位 |
| アダムソン大学 | Adamson University | 1,201〜1,400位 | 1,001〜1,200位 |
出典:The Varsitarian(USTの学生新聞、2026-06-18)。UPが402位である点はPalawan News(2026-06-19)も一致。
2027年版ではフィリピンの5大学すべてが順位を落とした(ABS-CBN、GMA Network、Philstar.com、Manila Bulletin いずれも2026-06-18で一致)。理由として、研究強度と国際連携で他国の伸びが速いことが指摘されている。
注 Daily Tribune(2026-06-19)は見出しで「DLSUは上昇」としており、上表と食い違う。DLSUの動きについては媒体間で記述が割れているため、断定は避けるべき。
注 QSは版年と公表年が1年ずれる。2026年6月に出たのは「2027年版」である。「2026年のランキング」と言うとき、2026年公表(=2027年版)なのか2026年版(=2025年公表)なのかで数字が変わる。上表のように両方を併記するのが安全。
5.2 分野別
2026年4月公表のQS分野別ランキングで、UPとアテネオが世界トップ100入りした分野が出たと報じられている(Manila Bulletin 2026-04-08)。ただし本稿では該当分野名は未確認。
5.3 研究力の構造
UPは国立総合大学として研究の中心にあり、Diwata衛星やM/B Dalaray(DOST資金による電動カタマラン型フェリー、2026年SONAで大統領が言及)などDOSTとの共同開発が多い。アテネオ、DLSU、USTは私立の名門で、DLSUはラグナ校がDOST-ASTIやAI関連の民間連携拠点として2026年8月のEU協力の現場にも登場している。
注 「フィリピンの大学は世界◯位」という主張を見たら、必ず「QSか、THE(Times Higher Education)か、ARWUか、分野別か、総合か」を確認すること。指標が違えば順位は大きく動く。
(2026-08-25 相互照合で補記。出典:分野「教育制度」第13-1節) QS Asia 2026版では UP 104位(スコア67.3、前年比18位下落)、Ateneo 141位、DLSU =178位、UST 184位で、フィリピンから35機関がランクイン。注QS World と QS Asia は母集団も指標ウェイトも異なるため、「UPは104位」と「UPは402位」はどちらも正しい。必ず World か Asia かを明示すること。
6. 防災科学 ― PAGASAとPHIVOLCS
台風・地震・火山が同時多発する国であるため、この2機関は「研究機関」であると同時に「24時間の現業官庁」である。フィリピンの科学技術予算のうち、実務的に最も存在感があるのはこの領域と言ってよい。
PAGASA(大気地球物理天文局)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所管 | DOST |
| 長官 | Nathaniel Servando 氏(Administrator。2026年4月時点の発言で確認) |
| 主業務 | 天気予報、台風警報、洪水情報、ダム情報、農業気象、季節予報、エルニーニョ/ラニーニャ監視、フィリピン標準時の管理、天文サービス |
| 技術基盤 | 数値予報(NWP)システム、レーダー・衛星画像、ハザードマップの提供 |
フィリピン独自の台風命名(ローカル名)はPAGASAが行う。国際名(JTWC/気象庁の名称)と併存するため、日本側で報道を追うときに混乱しやすい。2026年8月24日時点では台風「Obet」を監視中と公表していた(PAGASA公式)。
2026年4月、Servando長官は「2026年10〜12月に中〜強のエルニーニョが継続する確率92%」と述べた(PAGASA発表)。
PHIVOLCS(火山地震研究所)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所管 | DOST |
| 所長 | Teresito Bacolcol 氏(Director。2026年8月17日付のPhilippine News Agency報道で現職として登場) |
| 主業務 | 地震観測網、津波警報、火山活動監視(マヨン、カンラオン、タール等)、活断層マップ |
| 施設 | 地震・津波監視センターを地方に増設中(セブ州サンフェルナンド、2024年開設など) |
2026年6月8日、ミンダナオでM7.8の大地震が発生し、以後2,964回の余震が記録された(PHIVOLCS集計、2026年報道)。同年6月にはPHIVOLCSが「フィリピン海溝沿いではM8.2級も起こりうる」と警告している(Inquirer.net 2026-06-09)。
注 「The Big One」(マニラ首都圏西バレー断層のM7.2想定)は予知ではなくシナリオである。PHIVOLCSは各家庭に自助準備を求める広報を2026年6月にも行っている(GMA Network 2026-06-25)が、これは「近く起こる」という予測ではない。
7. 農業研究 ― PhilRiceとIRRI
IRRI(国際稲研究所)
IRRIは1960年設立、本部はラグナ州ロスバニョス(Los Baños, Laguna)。マニラから南へ約60km、UPロスバニョス校に隣接する。「緑の革命」の中核となったIR8を生んだ機関であり、フィリピンが世界の農業研究地図に載っている最大の理由がここにある。
PhilRice(フィリピン稲研究所)
農業省(DA)傘下。 2025年12月にDA-PhilRiceは創立40周年を迎え、IRRIが連携継続を表明した(IRRI 2025-12-03)。
2025〜2026年の主な共同プログラム
| プログラム | 内容 | 時期・出典 |
|---|---|---|
| OneRicePH | 市場志向型の稲育種の規模拡大。25系統が農家圃場に近づいた | IRRI(2025-09-04/2026-07-23) |
| Drones4Rice | DA・PhilRiceとのドローン活用稲作。初年度完了 | IRRI(2025-10-23)、ラグナ州の農家向け実演(2026-03-05) |
| Rice Yellowing Syndrome 検出能力強化 | 稲の黄化症候群の診断体制構築 | IRRI(2026-03-31) |
| 衛星ベースの作物保険・営農助言 | 衛星データを農業保険に接続 | IRRI(2025-06-09) |
| Climate+ | 気候対応型稲作研究 | IRRI(2026-03-10) |
衛星データ×農業は、PhilSA・IRRI・DAが交差する領域で、2025〜2026年に最も実装が進んだ分野の一つである。
8. 保健研究
中核はDOST傘下の PCHRD(Philippine Council for Health Research and Development) で、国家統一保健研究アジェンダ(National Unified Health Research Agenda, NUHRA)に沿って研究資金を配分する。2025年9月にはPhilHealth(国民健康保険公社)との連携を強化し、研究に基づく給付拡大を進めるカンファレンスを開催した(Philippine Information Agency 2025-09-26)。2026年7月には地方研究向けの Regional Research Fund の公募も行われている。
ウイルス学・ワクチン研究所(VIP)
Virology and Vaccine Institute of the Philippines(VIP) は、COVID-19の教訓から設立が決まった国立研究所。
| 時点 | 動き | 出典 |
|---|---|---|
| 2025年1月 | マルコス大統領が建設資金の確保を表明。DOSTは完成のための追加予算を要請 | 大統領府(2025-01-15)、Inquirer.net(2025-01-16) |
| 2025年11月 | VIP法の施行規則(IRR)に関する公聴会がクラーク(パンパンガ州)で開始 | Philippine Information Agency(2025-11-26) |
| 2026年1月 | 全国での公聴会を継続、IRRの精緻化作業 | PIA(2026-01-16)、GMA Network(2026-01-21)、Daily Tribune(2026-01-21) |
注 2026年8月時点でVIPは「法律とIRR整備の段階」であり、稼働中の研究所ではない。「フィリピンには国立ウイルス学研究所がある」と現在形で書くのは早い。
9. 宇宙 ― PhilSA、DIWATA、日本との協力
9.1 PhilSA
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 設立根拠 | フィリピン宇宙法(Republic Act No. 11363、2019年) |
| 位置 | 大統領府直属 |
| 長官 | Gay Jane P. Perez 氏(Director General ad interim/acting。2026年5月の日比共同宣言署名、同年6月の宇宙評議会、同年8月の宇宙週間で確認) |
注 人事に注意:PhilSA初代長官はJoel Joseph Marciano Jr.氏だったが、2026年の公式発表ではPerez氏が「ad interim(暫定)」または「acting」の肩書きで登場している。2026年8月時点で正規任命が完了しているかは未確認。日本語資料が古い長官名のままになっているケースが多い。
9.2 衛星の系譜と日本の大学
フィリピンの衛星開発は、日本の大学との共同教育プロジェクトとして始まった。ここがフィリピン宇宙開発を理解する最重要ポイントである。
| 衛星 | 種別 | 打上 | 日本側パートナー | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| DIWATA-1 | 50kg級マイクロ衛星 | 2016年3月23日打上/2016年4月27日ISSから放出 | 北海道大学・東北大学 | フィリピン人が設計・製作した初の衛星。PHL-Microsat計画。17,000枚超を撮像、地球を約22,642周。2020年4月5日に運用終了 |
| DIWATA-2 | マイクロ衛星 | 2018年 | 同上 | 地球観測を継続 |
| Maya-1 | 1U CubeSat(1.11kg) | 2018年6月29日打上/2018年8月10日「きぼう」から放出 | 九州工業大学(Kyutech)のBIRDS-2計画 | 開発・打上費 約15万米ドル。フィリピン人大学院生2名が主導。2020年11月23日に再突入 |
| Maya-2以降 | 1U CubeSat群 | 2021年〜 | 九工大BIRDS計画/STAMINA4Space | 人材育成が主目的 |
| MULA | 大型地球観測衛星(Multispectral Unit for Land Assessment) | 下記参照 | ― | 英国企業と協働で開発。農業・海洋監視・災害対応 |
注 MULAの打ち上げ時期は2026年内に変わった。 - 2026年3月時点:PhilSA宇宙政策局長 Noelle Riza Castillo 氏が「2026年第4四半期がターゲット」と説明(The Manila Times 2026-03-21) - 2026年6月時点:第9回宇宙評議会で「2027年4月、SpaceXのTransporter-20相乗り」と明示(The Manila Times 2026-06-07) → 「2026年内打ち上げ」と書かれた資料は古い。
「フィリピン初の衛星はDiwata-1(2016年)」は正しいが、「フィリピン人が設計・製作した初の衛星」という限定が付く。フィリピンが軌道上に持った最初の通信衛星(Agila-2、1997年)は外国製の商用衛星であり、別物である。
9.3 第9回フィリピン宇宙評議会(2026年6月7日、マルコス大統領主宰)
承認された主要事項:
- MULAコンステレーションの国産化 ― 追加のMULA型衛星を国内で開発
- 静止通信衛星(GEO)の導入 ― 災害時のバックアップ通信と行政サービス継続
- 液体燃料ロケットの打ち上げ ― 2027年初頭、カガヤン州ラルロ(Lal-lo)空港から。国産推進薬能力の実証と射場運用の確立
- 衛星データの統合利用 ― 政府横断でのデータ調和に関する決議
- スペースデブリ対応プロトコル ― 省庁横断の技術作業部会を設置
出席:Solidum科学技術長官、Balisacan経済企画長官ほか国防・財務・外務・農業各省(The Manila Times 2026-06-07)。
9.4 観測ロケット(サウンディングロケット)
注 ここは誤読が起きやすい。2026年7月のSONAで「フィリピン国土からの初の液体燃料観測ロケット打ち上げ」が取り上げられたが、実際の打ち上げは2027年予定である(Rappler 2026-07-28、Manila Bulletin 2026-07-28)。GMA Network(2026-08-05)は「2027年2月14日を目標」と報じた。PhilSAの技術者は韓国で訓練を受けている(The Manila Times 2026-08-21)。
9.5 日本との協力(2026年の最新動向)
2026年5月27日、PhilSAとJAXAが「宇宙協力に関する共同関心宣言(Joint Declaration of Interest in Space Cooperation)」に署名した。署名者はPhilSA暫定長官 Gay Jane P. Perez 氏とJAXA理事長 山川宏 氏。3分野を対象とする:
- 衛星共同ミッションのパートナーシップとデータ利用
- 宇宙探査と有人宇宙飛行
- 宇宙の持続可能性(スペースサステナビリティ)
マルコス大統領は、2026年がISS「きぼう」からのDiwata-1放出10周年にあたることに言及した(PhilSA公式、2026年6月2日発表)。
その他の日比接点: - Sentinel Asia(アジア太平洋の災害監視衛星データ共有枠組み)への参加 - Kibo-ABC/Kibo Robot Programming Challenge(第7回大会にフィリピンが参加、2026年7月) - DOST-JSPS共同研究プロジェクト(2026年度の公募をDOSTが実施中、2026年8月時点) - DOST-ASTIのASTICON 2026にJICAと韓国KISTIが登壇(2026年6月)
10. 半導体・電子の研究基盤とウエハーファブ構想
フィリピンの電子産業は輸出額の最大セクターだが、その中身は後工程(組立・テスト、いわゆるバックエンド)に集中しており、前工程(ウエハー製造)を国内に持たない。ここを埋めようというのがウエハーファブ構想である。
| 項目 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 想定立地 | Pax Silica(ニュークラーク・シティ内の半導体産業集積構想) | BusinessMirror(2026-08-10) |
| 業界の見方 | SEIPI(Semiconductor and Electronics Industries in the Philippines Foundation)会長 Danilo Lachica 氏「実績がなければTSMCやTIにファブを建てさせることはできない」 | 同上 |
| 政府の一手 | DOST-PCIEERDがDTI・SEIPIと共同で「実験室規模のウエハーファブ」に資金拠出。IC設計試作能力の実証とサプライチェーン検証が目的 | 同上 |
| 時期 | SEIPIは2027年に事業提案書を提出する見込み | 同上 |
| 障壁 | 商用ファブは大容量・安定のベースロード電力が必須。再エネ単独では不足し、小型モジュール炉(SMR)が議論に上がっている | 同上 |
注 「フィリピンにウエハーファブができる」という報道は、現時点では「ラボスケールの実証施設」の話である。商用ファブの誘致は決まっていない。両者を混同すると企業判断を大きく誤る。
関連して、DOSTは2026年7月に「量子技術ではASEANの近隣国と同水準にある」との見解を示している(BusinessWorld 2026-07-01)。これは業界団体ではなく所管省庁の自己評価である点に留意。
11. AI政策 ― NAIS-PHとNAICRI
11.1 政策文書の系譜(注 ここが最も混乱しやすい)
| 名称 | 略称 | 主管 | 時期 |
|---|---|---|---|
| National AI Strategy Roadmap 2.0 | NAISR 2.0 | 貿易産業省(DTI) | 2024年公表 |
| Center for AI Research | CAIR | DTI系 | 2024年設立表明 |
| National AI Strategy for the Philippines | NAIS-PH(NAIS PH) | DOST等 | 2028年までをカバーする枠組み。インフラ・人材・技術・政策の4領域 |
| National AI Center for Research and Innovation | NAICRI | DOST | 2026年2月26日、ケソン市に開設 |
注 「National AI Strategy」と一口に言っても、DTI系(NAISR 2.0/CAIR、2024年)とDOST系(NAIS-PH/NAICRI、2026年)の2系統がある。日本語記事では混同されがちだが、2026年時点で実装の中心はDOSTのNAICRIである。
11.2 NAICRI(国家AI研究イノベーションセンター)
2026年2月26日、DOST長官Solidum氏の下でマニラ首都圏ケソン市に開設。フィリピンの分散したAI取り組みを束ねる「中央ハブ」と位置づけられる。
4本柱(DOST公式):
| 柱 | 内容 |
|---|---|
| ①計算基盤 | 研究者・省庁・企業が共用する計算バックボーンの整備 |
| ②人材と研究 | AI専門人材の育成と機関横断の研究能力構築 |
| ③ガバナンス | データ保護・透明性・倫理基準をAIシステムに組み込む |
| ④地方イノベーション | 地方拠点とMSME(零細・中小企業)へAIの便益を広げる |
Solidum長官が挙げた課題は「先端計算能力の不足、AI専門人材の不足、地域間の導入格差、技術に追いつかないガバナンス」である。DOST-ASTI所長 Franz A. de Leon 氏は国際連携への開放性を強調し、フィリピンがASEAN議長国として「責任あるAI」を優先テーマに掲げていることに言及した。
11.3 EUとの協力(2026年8月の最新動向)
2026年8月、DOSTとEU(駐比大使 Massimo Santoro 氏)がAI研究協力を協議。EUのデジタル経済パッケージに1,000万ユーロ(約7億400万ペソ)の上乗せが計上され、AI政策・ガバナンス・インフラ・人材育成を支援する(DOST公式、2026年8月)。関連プログラムはNAIS-PH、NAICRI、GATES(地理空間解析)、ACABAI-PH(計算・解析・ビッグデータ・AI推進)、EU Global Gateway。
注 1,000万ユーロはEU側の支援枠であり、フィリピン政府のAI予算ではない。国内予算と外部支援を足して「フィリピンのAI投資額」とするのは誤り。
12. 頭脳流出(Brain Drain)
フィリピンの科学技術における最大の構造問題。医師・看護師・エンジニア・IT人材の海外流出は制度化された労働輸出の一部であり、研究者も例外ではない。研究者密度が100万人あたり320人(2020年)にとどまる背景には、国内の研究職ポストと待遇の乏しさがある。
対抗策:Balik Scientist Program(帰国科学者プログラム)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 法的根拠 | Balik Scientist Act(Republic Act No. 11035、2018年) |
| 内容 | 海外在住のフィリピン系研究者を短期〜長期で招へいし、国内機関で研究・指導させる。渡航費・生活費・研究支援を提供 |
| 実績 | 2022年7月〜2026年6月に856件の技術・プロジェクトを支援(DOST公表、2026年SONA関連) |
注 856という数字は「帰国した研究者の人数」ではなく「支援された技術・プロジェクトの件数」である。人数と件数を取り違えた引用が多い。
2025年7月には、フィリピン国内の科学者たちが政府の科学技術支援不足を公に嘆く報道も出ている(GMA Network 2025-07-18)。予算削減と奨学金枠の縮小は、若手の国内定着をさらに難しくする方向に働く。
13. 2025〜2026年の重点政策 ― まとめ
| 分野 | 2025〜2026年の動き | ステータス |
|---|---|---|
| AI | NAICRI開設(2026年2月26日)、NAIS-PH(〜2028年)、EU支援1,000万ユーロ | 稼働開始 |
| 宇宙 | 第9回宇宙評議会でMULAコンステレーション・静止通信衛星・液体燃料ロケットを承認(2026年6月7日) | 承認済み・実行段階 |
| 宇宙(国際) | PhilSA-JAXA共同宣言(2026年5月27日) | 署名済み |
| 半導体 | ラボスケールのウエハーファブにDOST-PCIEERDが資金拠出。提案書は2027年 | 構想・準備段階 |
| 保健 | VIP(ウイルス学・ワクチン研究所)法のIRR整備、建設資金確保 | 制度整備中 |
| 農業 | OneRicePH、Drones4Rice、衛星ベース作物保険 | 実装中 |
| 人材 | DOST-SEI学部奨学金は2026年度8,500人上限、PSHSは10キャンパス増設計画 | 予算制約下 |
| 防災 | 地震・津波監視センターの地方増設、2026年6月ミンダナオM7.8への対応 | 継続 |
| 国際評価 | 世界イノベーション指数(GII)2025年版で50位(前年比3ランク上昇、自国史上最高) | ― |
注 「世界50位」の中身:これはWIPO(世界知的所有権機関)が公表する Global Innovation Index の総合順位(2025年版、2025年9月17日公表。出典:Philippine News Agency、Philstar.com、Inquirer.net が一致)。研究開発費でも論文数でも特許数でもない、複合指標である。「フィリピンは世界50位の科学技術国」と要約するのは誤りで、正しくは「イノベーション環境の複合指標で50位」。なお2026年版は本稿執筆時点(2026年8月25日)で未公表。
DOSTは2026年に向けて経済戦略を打ち出したと報じられているが(Philstar.com 2025-12-31「DOST unveils 3-pronged economic strategy」)、本稿では記事本文を確認できず、3本柱の内容は未確認。
14. 知らないと間違える点(総まとめ)
注 ① PhilSAはDOSTの下部組織ではない(大統領府直属、RA 11363)。 注 ② IRRIはフィリピンの機関ではない(国際機関、本部がロスバニョスにあるだけ)。 注 ③ GERD対GDP比の最新公表値は0.28%(2020年)。0.32%は2018年のピークであって最新値ではない。2021年以降は世界銀行データに欠測。 注 ④ 「研究者320人/100万人」と「R&D人材708人/100万人」は別の指標。 注 ⑤ QSランキングは版年と公表年が1年ずれる。2026年6月公表=「2027年版」。 注 ⑥ MULA衛星は2027年4月打ち上げ予定に変更済み(2026年内という記述は古い)。 注 ⑦ 液体燃料観測ロケットはまだ打ち上げていない(2027年予定)。 注 ⑧ ウエハーファブは商用ではなくラボスケールの実証段階。 注 ⑨ VIP(ウイルス学・ワクチン研究所)は稼働前(IRR整備中)。 注 ⑩ AI戦略は2系統ある(DTIのNAISR 2.0/CAIRと、DOSTのNAIS-PH/NAICRI)。 注 ⑪ DOSTの2026年予算は「要求304億ペソ/上院勧告301.3億ペソ」まで確認、確定額は未確認。 注 ⑫ PhilSA長官は「ad interim/acting」の肩書き(Gay Jane P. Perez氏、2026年8月時点で正規任命の有無は未確認)。
15. 主要人物(2026年8月時点で確認できた範囲)
| 役職 | 氏名 | 確認時点・出典 |
|---|---|---|
| 科学技術省 長官 | Renato U. Solidum Jr. | 2026年6月・8月(The Manila Times、DOST公式) |
| PhilSA 長官(暫定) | Gay Jane P. Perez | 2026年5月・6月・8月(PhilSA公式、The Manila Times) |
| PAGASA 長官 | Nathaniel Servando | 2026年4月(PAGASA発表) |
| PHIVOLCS 所長 | Teresito Bacolcol | 2026年8月17日(Philippine News Agency) |
| DOST-ASTI 所長 | Franz A. de Leon | 2026年6月・8月(DOST公式) |
| SEIPI 会長 | Danilo Lachica | 2026年8月(BusinessMirror) |
| PhilSA 宇宙政策局長 | Noelle Riza Castillo | 2026年3月(The Manila Times) |
注 フィリピンの政府人事は交代が早い。半年以上前の記事で役職を確認したものは、引用前に再確認すること。