フィリピンの半導体・電子部品産業
フィリピン最大の輸出産業。月によっては輸出総額の6割を電子製品が占める。 ただしフィリピンは「AIチップ」を作っていない。作っているのは「AIを動かすための支援機器」である。
1. 規模 ── 数字で見る
| 年 | 電子製品輸出額 | 前年比 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2022年 | 490.9億ドル | +6.88% | 長らく過去最高だった |
| 2024年 | 427.5億ドル | ── | 調整局面 |
| 2025年(実績) | 496.4億ドル | +16.11% | 注2022年(490.9億ドル)との大小関係について本稿の記述が矛盾している。下記参照 |
| 2026年(SEIPI見通し) | 530億〜540億ドル | +10% | 2026年8月に上方修正 |
| 2030年(政府目標) | 1,100億ドル | ── | 半導体700億+電子機器400億 |
出典:SEIPI(半導体電子産業協会/Semiconductor and Electronics Industries in the Philippines Foundation, Inc.)、DTI(貿易産業省)。
注注 (2026-08-25 相互照合で検出した本稿内部の矛盾。このまま引用しないこと。) 上表の数値は算術的に整合する:2024年 427.5億ドル × 1.1611 = 496.4億ドル。したがって 2025年(496.4億ドル)は2022年(490.9億ドル)を約5億5,000万ドル上回る=過去最高 という読みになる。 一方、初稿の注記は「2022年の記録にわずか約2,000万ドル及ばず」=2025年は2022年に届かなかった、と正反対のことを書いていた。両立しない。 考えられる原因は、(a) 2022年の記録値が490.9億ドルではなく約496.6億ドルである、(b) 2025年の実績が496.4億ドルではない、(c) 注記が別年の話の混入、のいずれか。 SEIPI公式サイト(seipi.org.ph)の "Electronics Import Export Reports" では今回、2022年・2025年の確定値を取得できなかった=未確認。 数値を引く際は必ずSEIPIの年次レポートかPSAの商品別輸出統計で「2022年」「2025年」の両方を取り直し、「過去最高か否か」は自分で確認すること。
2026年見通しの変遷が面白い。 SEIPIは当初「5%成長=480億ドル」と保守的に置き、2026年3月に「500億ドル突破」、そして2026年8月10日に10%成長=530億〜540億ドルへ二度目の上方修正をした。ダニロ・ラチカ(Danilo "Dan" Lachica)SEIPI会長兼社長は2025年実績について「16%は正直まったく予想していなかった」と語っている(BusinessWorld/Manila Times、2026年8月)。
2026年上期(1〜6月)の実績 - 電子製品輸出:261億ドル(前年同期216.2億ドルから +20.7%) - うち半導体:195億ドル(前年同期160.2億ドルから +21.7%) - 2026年6月単月:フィリピンの輸出総額88億ドルは1991年の統計開始以来の月間最高(PSA=フィリピン統計庁)。うち電子製品52.5億ドル、構成比59.9%。
注 SEIPIの数字とPSAの数字は一致しない。 SEIPIは電子製品の定義がPSAより広く、輸出総額に占める比率もSEIPI基準のほうが高く出る(例:2026年2月時点でSEIPI基準64.75%、PSA基準は6月で59.9%)。資料で引用するときは「どちらの基準か」を必ず添えること。
2. 核心:フィリピンは「AIチップ」を作っていない
これが最も誤解されやすい点である。
NVIDIAのGPUのような「AI半導体そのもの」──── フィリピンでは作っていない
↓
フィリピンが作っているのは
「AIエンジンとデータセンターを動かすための支援機器・部品」
具体的には サーバー関連部品/ネットワーク機器/電源IC/
受動部品(MLCC等)/各種センサ・アクチュエータ
ラチカ会長は2026年8月、成長ドライバーを問われて「AIとデータセンター向け機材、とりわけサーバーとネットワーク機器の需要」と答え、同時に「フィリピンはAIチップを製造していない。AIインフラを支える部品と装置を作っているのだ」と明言している。次点の牽引役は車載エレクトロニクスと通信。
注 「フィリピンがAIブームの恩恵を受けている」は正しいが、「フィリピンがAI半導体を作っている」は誤り。恩恵は"後工程"と"周辺部材"を通じて間接的に来ている。
3. 世界の中での位置
| 指標 | 数値 | 出典・年 |
|---|---|---|
| 世界半導体市場に占めるシェア | 約5% | SEIPI、2025年 |
| EMS(電子機器受託製造)市場でのシェア | 約1% | SEIPI、2026年 |
| 世界の半導体輸出国順位 | 第9位 | 業界各種、2024〜25年 |
| 国内産業の内訳 | SMS(半導体製造サービス)73% / EMS 27% | SEIPI |
| 国内進出企業数 | 500社超 | 業界推計 |
| 雇用(直接+間接) | 約300万人 | DTI/SEIPI、2026年 |
| 産業の年間規模 | 約3兆ペソ | DTI、2026年 |
5%と1%のギャップが政策の焦点である。 半導体後工程では世界的プレーヤーなのに、完成機器を丸ごと請け負うEMSでは「1兆ドル市場のわずか1%」(ラチカ会長)にとどまる。2030年の1,100億ドル目標のうち400億ドルをEMSに割り当てているのは、この歪みを直すためである。
4. 何をしているのか ── 工程の位置
前工程(ウエハー製造・微細加工) ← フィリピンには商業設備がゼロ
↓
後工程(組立・テスト・パッケージング=ATP) ← ここがフィリピンの主戦場
↓
EMS(基板実装〜完成機器組立) ← シェア1%、今後の重点
↓
IC設計 ← 近年立ち上がりつつある
注 フィリピンは「半導体大国」と紹介されることがあるが、実体は後工程(ATP=Assembly, Testing and Packaging)中心。設計も前工程も国内にはほぼない。SEMIは過去に「半導体製造サービスの世界供給の10%を担う」と評したことがある。
5. ウエハー製造施設(ウエハーファブ)の構想
ここが2026年の最大のトピックである。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 位置づけ | 業界が「聖杯(holy grail)」と呼ぶ前工程進出 |
| まず作るもの | ラボスケール(研究所規模)のウエハーファブ |
| 目的 | IC設計の試作(プロトタイプ/テープアウト)を国内で完結。人材育成。現在は台湾に出している |
| 推進主体 | SEIPI + DOST(科学技術省)/PCIEERD + DTI |
| 時期 | 2027年に再提出を目指す(ラチカ会長) |
| 想定地 | 「Pax Silica」(ニュークラークシティ内)が候補として挙がる |
業界トップ自身が慎重である。 ラチカ会長は2026年8月、TSMCやテキサス・インスツルメンツのような大手を誘致するには「実績(track record)がない」「人材も、サプライチェーンも足りない」と述べ、「段階を踏む必要がある」とした。ラボスケール施設は「フィリピンにもウエハーファブができると世界に示す概念実証(proof of concept)」という位置づけである。
電力面では、ラチカ会長は商業ファブに必要な安定したベースロード電源としてSMR/MMR(小型・超小型モジュール炉)を消費地近傍に置く案に言及している。
Pax Silica(パックス・シリカ)とは
- 2025年12月に米国主導で発足した、半導体・重要鉱物・AIのサプライチェーン確保を目的とする国際連合。フィリピンは2026年4月に加盟(東南アジアではシンガポールと2か国のみ)。
- 舞台はタルラック州ニュークラークシティ内の約1,620ヘクタール(総面積9,450haのうち)。BCDA(基地転換開発庁)管轄。
- BCDA試算:投資400億〜700億ドル、雇用13万人超。造成着手は3〜5年後、まず約500ha。30年スパンでフル稼働。
- 外国投資家は改正投資家リース法(共和国法12252号)に基づき最長99年の土地リースが可能。
- 2026年5月、BCDAはゾーンを米国の管轄下に置く/米国人職員に外交特権を与えるという米側要請を拒否したと表明。フィリピン法の下に置かれる。
- 2026年8月、台湾の林佳龍外交部長がPax Silicaを半導体・AI協力の場として関心を示した。
注 Pax Silicaは2026年半ば時点で「構想・初期計画段階」である。 合意の主要条件も未確定。水約1.3億リットル/日、電力約3ギガワット(ルソン系統容量の約16%相当)という所要量への懸念、および先住民の土地に関する懸念が現地で報じられている。数字を引用する際は「計画値・未確定」と添えること。
6. 主要な立地と企業
| 地域 | 特徴 | 主な事業所 |
|---|---|---|
| カラバルソン(CALABARZON) ラグナ/カビテ/バタンガス |
最大の集積地。 半導体FDIの大半がここと中部ルソンに集中 | STマイクロエレクトロニクス(カランバ、従業員4,000人超)、オンセミ(カビテ)、アナログ・デバイセズ、村田製作所(バタンガス州タナウアン)、サムスン電機(カランバ) |
| クラーク/中部ルソン | ルソン全体で半導体の稼働床面積の7割超 | テキサス・インスツルメンツ(クラーク、アナログ製品を年数十億個規模で出荷)、SFAセミコン(韓国SFAグループ、クラーク自由港) |
| セブ/ビサヤ | 第2の極。MEPZ(マクタン輸出加工区)中心 | セブ・ミツミ(ダナオ)、太陽誘電、セレスティカ、タイメックス |
| メトロマニラ周辺 | 本社・IC設計・一部工場 | アムコー・テクノロジー(ムンティンルパ、ラグナ)、IMI |
外資の主要顔ぶれ:テキサス・インスツルメンツ、アナログ・デバイセズ、オンセミ、STマイクロエレクトロニクス、NXP、マイクロチップ、アムコー・テクノロジー(Amkor Technology)、SFAセミコン、サムスン電機。
地場の代表格:IMI(Integrated Micro-Electronics, Inc.)。アヤラ・コーポレーション傘下のEMS。2026年上期売上4.65億ドル(前年同期比+4%)、純利益1,400万ドル(同+50%)。世界EMSランキングは2023年売上ベースで23位、車載EMSでは9位(New Venture Research)。5か国11工場体制(2021年当時の10か国22工場から絞り込み)。
7. 日系企業の存在
フィリピン進出日系企業は約1,400〜1,500社。うち電子部品・OA機器・半導体関連は中核を成す。
| 企業 | 拠点 | 2025〜2026年の動き |
|---|---|---|
| 村田製作所(Murata) | バタンガス州タナウアン(2011年設立、従業員4,300人超、「アジア最大の生産拠点」とされる 注指標未確認=面積か生産能力か従業員数か、また「日本国外」なのか「アジア全体」なのかが特定できていない。2026-08-25 相互照合で指標欄を追加。指標を書けないなら最上級表現は使わないこと) | 2025年10月22日、新生産棟が竣工。延床77,981㎡、建屋だけで112億円投資。MLCC(積層セラミックコンデンサ)増産。PEZA長官・遠藤和也駐比大使が出席 |
| ミネベアミツミ(MinebeaMitsumi)/セブ・ミツミ | セブ州ダナオ(従業員約2万人、セブ最大の単一製造業雇用主)ほかナガ、バタンガス、バターン | 2025年4月10日、第14棟を着工。総額約200億円、うち約40億円は経済産業省の「グローバルサウス補助金」。2階に約8,000㎡のクリーンルーム。2026年10月完成、2027年から半導体後工程能力を現状の3倍へ。屋上太陽光(既設7.9MWに追加) |
| その他 | ── | 東芝情報機器、ローム・エレクトロニクス・フィリピン、京セラ系など多数。JETROフィリピンも投資支援 |
ミネベアミツミ案件は「日本政府の補助金で、フィリピンの半導体後工程能力が3倍になる」という点で、日比の産業連携を象徴する事例である。
8. リスク ── ここを外すと話が甘くなる
(1) 原油の中東依存
- フィリピンは原油輸入の約98%を中東に依存(DOE=エネルギー省)。残り2%はマレーシアとブルネイ。国内製油所はバターンのペトロン1か所のみ。 注 (2026-08-25 相互照合)分野資料「電力と電気代」§4は、この「98%」について「英語版Wikipedia経由で流通しているが一次資料での裏取りは未確認」としている。DOEの原資料に当たるまで確定値として扱わないこと。またフィリピンの石油小売価格はドバイ原油よりMOPS(シンガポール製品市況)に直接連動する点も併せて押さえること(原油を輸入・精製しているのはPetronのみ)。
- 2026年のホルムズ海峡危機で原油は3月中旬に1バレル約115ドル(開戦前72ドル)まで上昇。海運の迂回・遅延で運賃と保険料が上昇。
- 高付加価値の電子製品は主に航空貨物で出る。 ジェット燃料が細れば減便・欠航が直撃する、というのがSEIPI側の懸念である。
- オックスフォード・エコノミクスは2026年3月、中東情勢について「フィリピンとベトナムが最も脆弱」と警告した。
- フィリピン側はロシア産原油やマレーシア産ディーゼルの調達で分散を進め、約50日分の備蓄を維持。
(2) 電力コスト
- フィリピンの平均電力料金は1kWhあたり12.43ペソ(2026年6月分)となり、シンガポールの12.34ペソを0.09ペソ上回って東南アジアで最も高くなった。注発表は2026年7月20日(DOE次官 Rowena Cristina Guevara/Philstar報道)であり、「2026年6月に発表」ではない。(2026-08-25 相互照合で修正。出典:分野資料「電力と電気代」§11/冒頭サマリー)
- 背景:2026年夏のビサヤでの発電所停止(21基が計画外停止)、燃料高、ペソ安。
- 商業用は約0.18ドル/kWh、年間平均28回の停電という試算もあり、データセンター誘致でマレーシア・タイに後れを取る一因とされる。
- 緩和策:CREATE MORE法(共和国法12066号、2024年成立)で、登録事業の電力費の追加控除が50%→100%に引き上げられた。半導体後工程のような電力多消費産業には実質的な効果がある。
(3) 関税
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 2025年8月7日〜 | 米国がフィリピン産品に19%の相互関税(当初20%→交渉で19%)。フィリピン側は米国産自動車・大豆・小麦・医薬品を無関税に |
| 半導体は通商拡大法232条の対象であるため、この19%からは除外された。輸出のほぼ半分が対象外 | |
| 2026年1月15日〜 | 米国が232条に基づき特定の半導体・派生製品へ追加関税(一部は25%)を発動(2026年1月14日大統領布告) |
| 影響試算 | DEPDev(経済開発省)は関税影響をGDPの約0.12%(約4.9億ドル)、電子製品の除外がなくなれば約5.1億ドルと試算 |
注 「フィリピンの半導体は米関税の対象外」という説明は2025年時点では正しかったが、2026年1月以降は条件付きになった。232条の技術性能・米国内用途に基づく免除に該当するかどうかで扱いが変わる。
(4) 「ゾンビ産業」問題 ── 最も辛口な指摘
2026年3月、SEIPI会長でアムコー・テクノロジー・フィリピン社長のビン・ビエラ(Bing Viera)氏はこう述べた。
「これがいわゆるゾンビ産業だ」「我々はすでに持っているものを最大限使い回しているだけだ」「欲しいのは安定。それが第一だ」
- 輸出額は伸びているが、大型の新規投資が来ていないという危機感。
- 象徴的な事例:アムコーの16億ドルの先端パッケージング工場はフィリピンではなくベトナム(バクニン)に建った。
- アムコーの全世界3万人超の従業員の約1/3がフィリピンにいるが、フィリピン拠点が扱うレガシー製品は同社売上の約18%にとどまる。→ 労働集約のまま自動化が進みにくい構造。
- 制度面の要求は「予測可能性」。CREATE MORE法の移行期限は2034年12月31日。
9. 政策 ── PSEIロードマップ
- PSEI(Philippine Semiconductor and Electronics Industry)ロードマップ。2025年にDTIが公表、2026年3月23日のSEIAC(半導体・電子産業諮問評議会)第4回会合でマラカニアン宮殿にて提示。
- 目標:2030年に1,100億ドル(半導体700億+電子機器400億)。2025年実績の2.2倍以上。
- 柱:①バリューチェーンの上流化(IC設計・先端パッケージング、長期的には前工程)②5年で12万8,000人の半導体人材を育成(BOIは2028年までの達成を掲げる)③最大3か所の国立研究所設置 ④政策改革。
- ラルフ・レクト行政長官(評議会議長)は「そうでなければ、野心を印刷しただけの紙だ」と述べ、期限と担当を明確にした進捗管理を指示した。
- 2026年のASEAN議長国であることを、地域の半導体ハブとしての売り込み機会と位置づけている。
- 米国のCHIPS法に基づくITSI基金(5年5億ドル)のパートナー国。アリゾナ州立大学などによる後工程人材育成プログラムに、コスタリカ・メキシコ・パナマ・インドネシア・ベトナムとともに参加(総額1,380万ドル規模)。
10. まとめ
輸出は絶好調(2025年 496億ドル、2026年見通し 530〜540億ドル)。
注ただし「2022年の記録を超えたか」は本稿内で記述が矛盾している(§1の注記参照)。
牽引役はAI/データセンター。ただし作っているのはAIチップではなく「支援機器」。
半導体市場シェア5%に対し、EMSシェアは1%。この歪みを直すのが2030年目標。
前工程(ウエハーファブ)はゼロ。まずラボスケールで2027年提出を目指す段階。
リスクは「原油98%中東依存 × 東南アジア最高の電力コスト × 米232条関税」。
そして業界自身が言う「ゾンビ産業」── 稼いでいるが、新規投資が来ていない。