フィリピンの石油・天然ガスと海底資源 ── マラムパヤ延命、リード堆の膠着、そしてLNG転換
0. はじめに:この分野の数字は「定義」を確認しないと必ず間違える
フィリピンの石油・ガスは、報道でも政府発表でも数字が独り歩きしやすい分野である。読み進める前に、次の3点を頭に入れてほしい。
0.1 「埋蔵量」「資源量」「賦存量」は別物
| 用語 | 英語 | 意味 | 商業性 |
|---|---|---|---|
| 原始埋蔵量/原始資源量 | Gas Initially In Place (GIIP) / Gas In Place (GIP) | 地下に存在する総量。取り出せる量ではない | 問わない |
| 可採埋蔵量 | Reserves(1P/2P/3P) | 発見済み・開発計画あり・商業的に採掘可能 | ○ |
| 条件付資源量 | Contingent Resources | 発見済みだが、商業性・技術・法的障害で開発未確定 | △ |
| 探鉱資源量 | Prospective Resources | 未発見。地質学的推定にすぎない | × |
注 ここが最大の落とし穴:2026年1月に発表された「マラムパヤ・イースト1、98 Bcf」は、複数の報道(BusinessWorld、Manila Bulletin、Rappler 2026年1月)が gas in place(原始埋蔵量) と説明している。可採量ではない。回収率(recovery factor)は一般にガス田で40〜80%程度とされ、実際に採り出せる量はこれより小さくなる。政府発表の「98 Bcf」をそのまま「埋蔵量」と訳すのは誤訳になる。
0.2 報告基準の区別
- 石油・ガスの国際的な報告基準は SPE-PRMS(SPE/WPC/AAPG/SPEE が共同策定した Petroleum Resources Management System)である。鉱物資源で使われる JORC(豪)や NI 43-101(加)は固体鉱物向けであり、石油・ガスには適用されない(カナダの石油は NI 51-101)。注 フィリピンの石油ガス案件で「JORC準拠」と書かれていたら、それ自体が誤りの疑いがある。
- フィリピンでは、上場企業(PXP Energy 等)の開示は独立コンサルタント評価に依拠するが、エネルギー省(DOE)や大統領府の発表は事業者提出データに基づく政府推計であり、第三者検証済みの埋蔵量報告とは性格が異なる。
- 本資料では、出所を「政府発表」「事業者発表」「独立評価」「報道」で区別して記す。
0.3 「世界第◯位」という主張の扱い
南シナ海については「石油1,250億バレル」といった巨大数字が流通するが、これは中国海洋石油(CNOOC)が2012年に示した未発見資源量の主張で、米エネルギー情報局(EIA, 2013年2月)は「独立した研究によって確認されていない」と明記している。EIA自身の推計は南シナ海全体で確認+推定埋蔵量 石油約110億バレル/天然ガス約190兆立方フィート(Tcf)であり、しかも「その大半は係争海域ではなく沿岸国の非係争海域に偏在する」というのがEIAの結論である。 注 フィリピンが「世界◯位の資源国」という言説は、本資料の調査範囲では裏付けが取れなかった(未確認)。実際、確認埋蔵量ベースではフィリピンの石油は世界66位前後(約1.385億バレル、Worldometer 2025年)にすぎない。
1. 全体像:石油はほぼ全量輸入、ガスは国産1本足
| 指標 | 数値 | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 石油の輸入依存度 | 99.68%(国内生産0.32%) | 2024年 | フィリピンDOE(Gulf News 経由) |
| 確認石油埋蔵量 | 約1.39億バレル | 2024年 | DOE(Statista 経由) |
| 石油消費量 | 約47.3万〜48.7万バレル/日 | 2026年初 | 各種報道(Rappler 等) |
| 国内製油所 | ペトロン社リマイ製油所(バターン州)1か所のみ、18万バレル/日 | 2026年 | Philstar / Rappler |
| 原油輸入の中東比率 | 約95〜98%(アジア平均は約65%) | 2026年 | DOE、Philstar、Rappler |
| 発電に占める天然ガス | 注14.2%(1,804.7万MWh)/17.5% と本資料内で不一致(第6.2節は「14.1%〈2023年〉→ 17.5%〈2024年〉」とする)。集計対象(総発電量か国内供給か)の差とみられるが未確認。引用時はどちらの系列かを明示すること | 2024年 | DOE(2026-08-25 相互照合で内部矛盾を明示) |
| 発電に占める石炭 | 62.2%(注他資料では2023年62.5%/2025年約60〜63%と幅がある。→ 分野「石炭とエネルギー鉱物」1.2、「地熱と地下の再生可能資源」2章) | 2024年 | DOE |
| 天然ガスに占める輸入LNG | 約46% | 2025年前後 | ICIS / GIIGNL |
ポイントは2つ。(1) 液体燃料はほぼ完全な輸入依存で、しかも調達先が中東に極端に偏っている。(2) 天然ガスだけは長年マラムパヤという単一ガス田が支えてきたが、それが枯渇局面に入った。 2026年の中東紛争は、この2つの弱点を同時に突いた。
注 製油所が1か所しかないのは歴史的経緯による。1998年の下流石油産業規制緩和法(Downstream Oil Deregulation Law)以降、カルテックスのバタンガス製油所は2003年に輸入ターミナルへ転換、シェルはピリリャ基油製油所を2002年、タバンガオ製油所を2020年に閉鎖した(Philstar 2026年4月)。結果、フィリピンは「原油を買って精製する国」から「製品を買う国」へ移行した。
2. マラムパヤ(Malampaya)ガス田 ── 25年目の延命手術
2.1 発見から操業まで
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1989年 | カマゴ1(Camago-1)井の掘削でマラムパヤ・カマゴ構造を発見 |
| 1990年代 | 評価井掘削。シェル・フィリピン・エクスプロレーション(SPEX)が開発主体に |
| 2001年9月 | 初ガス(first gas)。パラワン島北西沖 約65〜80km、水深約850m |
| 2002年1月 | 商業生産開始 |
| 2001〜2002年 | 油層部(oil leg)から原油約190万バレルを生産(以後はガス・コンデンセート中心) |
「フィリピン最大の上流石油事業」であり、深海(deepwater)開発としては東南アジアでも初期の大型案件である。プロジェクト名は Malampaya Deep Water Gas-to-Power Project。
2.2 ルソンの電力をどれだけ支えたか
- ピーク期にはルソン島の電力需要の約40%を賄ったとされる(Prime Energy/各種報道)。
- しかし自然減退と12年間にわたる新規探鉱の停滞により、現在の寄与は約20%まで低下(PCIJ 2026年1月)。
- 供給先はルソンの5つのガス火力:イリハン(Ilijan)/サンタ・リタ(Sta. Rita)/サン・ロレンソ(San Lorenzo)/アビオン(Avion)/サン・ガブリエル(San Gabriel)。
- 現在の供給力は 1.2〜1.3 GW(従前より低下)。DOEはフェーズ4で1.5〜1.7 GWへの回復を期待(報道ベース)。
注 「マラムパヤ=ルソンの40%」という記述は過去のピーク値であり、2026年時点の実態ではない。日本語記事でここを取り違えている例が多い。
2.3 生産量の推移と枯渇見通し
| 年 | 生産量 | 出典 |
|---|---|---|
| 2019年 | 155.495 Bcf(ピーク) | DOE |
| 2020年 | 141.732 Bcf | DOE |
| 2021年(1〜3Q) | 79.054 Bcf | DOE |
| 2023年 | 89.2 Bcf | DOE |
| 2024年 | 約2 bcm(2020年比で半減) | Enerdata |
- DOEは残存埋蔵量を約4 bcm(約147 Bcf 相当と報じられた数字と整合的)とし、既存井からの生産は2027年末で停止、2028年以降に総生産量が急落するとの見通しが業界筋(ICIS)から示されていた。
- フェーズ4の2つの成功井により、操業寿命は約6年延長される見込み(Prime Energy 2026年3月)。エネルギー省ガリン長官は「2030年まで」と述べたと報じられ、別報道では「2034年まで」との数字も出ている。注 延長後の終期は情報源により2030年/2034年と幅がある。確定していない。
2.4 権益の変遷 ── シェルの撤退とラソン系の台頭
これはフィリピン経済界の勢力図が読める重要な話である。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 当初 | SPEX(シェル)45%/シェブロン・マラムパヤLLC 45%/PNOC-EC(国営)10% |
| 2019年11月〜2020年3月 | デニス・ウィ(Dennis Uy)氏のウデンナ(Udenna)が子会社 UC38 LLC を通じてシェブロン持分45%を5億6,500万ドルで取得。シェブロン・マラムパヤLLCが UC38 LLC に改称 |
| 2021〜2022年 | シェルがSPEX(45%)売却を決定。当初ウデンナが優先交渉権 |
| 2022年6〜7月 | 債務に苦しむウデンナが、SPEX取得の受け皿会社 MEXP Holding Pte. Ltd. をエンリケ・ラソン(Enrique K. Razon Jr.)系の Prime Infrastructure Capital に売却(Forbes 2022年7月) |
| 2022年9月30日 | DOEが売却を承認。「オールフィリピン企業のコンソーシアム」が誕生 |
| 2022年11月1日 | Prime Infra が SPEX を完全取得し、Prime Energy Resources Development B.V. に改称。同社がオペレーターに |
| 2023年5月15日 | マルコス大統領がマラカニアン宮殿で SC 38 の15年延長に署名(2024年2月22日 →2039年2月22日まで) |
現在のコンソーシアム構成には2つの説があるため注意:
| 出典 | 構成 |
|---|---|
| 報道一般(BusinessMirror、Manila Bulletin 2024年ほか) | Prime Energy(オペレーター)45% / UC38 LLC 45% / PNOC-EC 10% |
| PNOC-EC 公式サイト | Prime Energy(オペレーター)40% / Prime Oil and Gas Inc. 5% / UC38 LLC 45% / PNOC-EC 10% |
注 2026年の公式発表(大統領府、Prime Infra)は「Prime Energy、UC38 LLC、PNOC-EC、Prime Oil and Gas Inc.」の4社を列挙しており、後者に近い。UC38 LLC がウデンナ系のまま残っているのか、既に持分が移転したのかは、本調査では確認できなかった(未確認)。 日本語で書く際は「Prime Energy(ラソン系)を筆頭とする全比国資本コンソーシアム、政府系PNOC-ECが10%」程度に留めるのが安全。
政府取り分:政府は純収益の60%を受け取り、これが予算書上「マラムパヤ・ロイヤルティ(Malampaya royalties)」として計上される。2014〜2024年の累計は2,000億ペソ、年平均182億ペソ(下院少数派院内総務リバナン議員、BESFデータ、2026年4月)。
2.5 フェーズ4(Malampaya Phase 4, MP4)── 2026年の主役
総投資額 8億9,300万ドル。DOEが「国家的重要エネルギー事業(Energy Project of National Significance)」に認定し、許認可を迅速化。掘削船は Noble Viking。3本の井戸を掘る計画で、うち2本が既に成功している。
| 井戸 | 種別 | 発表 | 結果 |
|---|---|---|---|
| マラムパヤ・イースト1(MAE-1) | 開発井 | 2026年1月19日、マルコス大統領が発表 | 既存田の東5kmの未開発貯留層。98 Bcf(gas in place)+コンデンセート。テスト流量約60 MMscf/日。10年以上ぶりのフィリピン国内ガス発見 |
| カマゴ3(Camago-3) | 開発井 | 2026年3月26日、大統領が掘削・テスト成功を発表 | 流量最大60 MMscf/日。可採量はMAE-1の約2.5倍。既存残存埋蔵量からの生産可能量を「倍増させうる」(Prime Energy) |
| バゴン・パガサ1(Bagong Pag-asa-1) | 探鉱井(wildcat) | 未発表 | マラムパヤの北30km。注 2026年8月24日時点で結果の公表を確認できず(未確認) |
初ガス目標は2026年第4四半期(Q4 2026)。Prime Energy は2026年3月・5月時点で「オントラック」と表明。 大統領・DOEは「MAE-1だけで年間約140億kWh相当=570万世帯分」、2井合計で「約580万世帯分」と説明。ガリン長官は「約800万世帯の電気代低減効果」と述べた。注 これらは世帯換算のPR的表現であり、埋蔵量の技術的評価ではない。
Prime Energy は「SC 38 更新から3年未満でこの規模の成果を出したのは国際石油ガス業界でトップ・クォータイル(上位25%)の実績」と自己評価している(2026年3月26日)。
2.6 国内初の深海パイプライン(2000年以来の海底管敷設)
- 2000年以来、フィリピンで深海域に海底パイプラインが敷設されるのは初めて。マラムパヤ本体の建設以来ということになる。
- 施工は Allseas 社のパイプ敷設船 Audacia。2026年5月時点で マラムパヤ・イーストおよびカマゴのフローライン敷設が完了。
- J-lay 方式でフローライン末端ターミナル(FLET)を水深690mの海底に設置(パラワン沖)。これが海底フローラインと既存生産設備の接続点となる。
- 続いてアンビリカル(電力・通信・油圧制御ケーブル)を敷設し、耐圧試験・窒素乾燥・海底ジャンパー接続を経て試運転(コミッショニング)へ。
- 2026年7月には既存マラムパヤ設備の定期メンテナンス(turnaround)が完了し、新井立ち上げの準備が整った(BusinessMirror 2026年7月17日)。
これは単なる工事ではなく、「フィリピンが深海オフショア工事を自国海域で再びできる体制を取り戻した」という産業インフラ上の意味を持つ。
2.7 注 98 Bcf をどう評価すべきか(冷静な読み方)
- MAE-1 の98 Bcf は gas in place。回収率を掛ける必要がある。
- 規模感:マラムパヤ原始埋蔵量は2.7〜3.2 Tcf(=2,700〜3,200 Bcf)とされ、2017年までに1.94 Tcfのガスと7,500万バレルのコンデンセートを生産済み。98 Bcf は元の田の約4%程度という指摘がある(The Diplomat 2026年1月)。
- Prime Energy の説明でも「残存可採量を約30%押し上げる」であり、「マラムパヤを再生する」規模ではない。
- 注 したがって正しい評価は「枯渇時期を数年先送りする延命策であり、LNG輸入への構造転換を止めるものではない」。ただしカマゴ3がMAE-1の2.5倍であるため、2井合計のインパクトは相応に大きい。
経済性の比較(Prime Energy 2026年):マラムパヤの燃料費相当 約4.80ペソ/kWh に対し、輸入LNGは約10.30ペソ/kWh。国産ガスが1kWhあたり半額以下という構図が、政治的に強い推進力になっている。
3. リード堆(Reed Bank/Recto Bank、SC 72)── 資源ではなく地政学の問題
3.1 場所と資源評価
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 位置 | パラワン島の西 約250km、フィリピンEEZ内。ただし中国の「九段線」主張の内側 |
| 契約 | SC 72(Recto Bank)、面積 8,800 km²(旧GSEC 101の85%) |
| 権益 | Forum Energy 70%/Monte Oro 30%(PXP Energy 公式)。PXPの経済的持分は合計 54.36%。Forum Energy Limited に対しPXPが直接・間接に 79.13% を保有 |
| 資源評価 | サンパギータ(Sampaguita)構造:条件付資源量 約2.6 Tcf(Gas In Place)。Weatherford Petroleum Consultants による2012年の解釈 |
| 発見史 | 1970年に探鉱開始、1976年にサンパギータ構造でガス発見 |
注 2.6 Tcf は「条件付資源量」かつ「原始埋蔵量(GIP)」である。可採埋蔵量ではない。しかも評価は2012年と古い。PXPの公式サイトには準拠報告基準の記載がなく、SPE-PRMS準拠かどうかは未確認。 参考:USGS 2012年推計ではリード堆一帯に石油25億バレル・ガス25.5 Tcf の未発見資源量がありうるとされるが、EIAは「これらは商業埋蔵量ではなく、採掘が経済的に成立するとは限らない」と釘を刺している。
3.2 探査停止の経緯(年表)
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2011年 | フォーラム社の調査船が中国船に妨害される事件 |
| 2014年12月15日 | DOEが不可抗力(force majeure)を宣言。探鉱停止 |
| 2020年10月14〜16日 | DOEが不可抗力を解除。JVに20か月以内に2本のコミットメント井を掘る条件 |
| 2022年4月6日 | DOEがSC 72・SC 75 の探鉱活動停止を指示。理由は「西フィリピン海における活動の政治・経済・国家安全保障上の含意」(治安・司法・平和調整クラスター=SJPCC の承認待ち) |
| 2022年4月11日 | Forum が DOE に対し、2022年4月6日付で再び不可抗力を宣言 |
| 2026年5月/8月 | SC 72・SC 75 とも不可抗力継続中。掘削・探鉱は行われていない(Philstar 2026年5月2日、PXP開示2026年8月4日) |
つまりリード堆で止まっているのは技術でも採算でもなく、外交・安全保障である。Forum Energy は「海軍の護衛が保証されれば掘削の用意がある」と述べており、政府がその保証を出せていない、というのが2026年時点の構図。
3.3 中国との共同開発協議 ── 2018年MOU、2022年打ち切り、2026年再燃
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2018年11月 | ドゥテルテ政権と中国がエネルギー協力に関する覚書(MOU)に署名、政府間運営委員会を設置 |
| 2018〜2022年 | ロクシン外相(Teodoro Locsin Jr.)と中国の王毅氏が3年間交渉 |
| 2022年6月23日 | ロクシン外相が「協議は完全に終了(terminated completely)、係属中の案件はない」と表明。ドゥテルテ大統領の指示。理由は憲法:「憲法上可能な限界まで来た。あと一歩進めば憲法危機に落ちる」 |
| 2023年 | 最高裁が類似の取決めを違憲と判断(天然資源に対する国家の完全な支配を定める条項に違反) |
| 2026年3月24日 | マルコス大統領がブルームバーグTVで「中東戦争によるエネルギー緊急事態」を理由に協議再開に前向きと表明。「石油供給ショックが両者を合意に向かわせる推進力になりうる」 |
| 2026年3月26〜27日 | 中国側「対話の扉は開いている。ただしフィリピンは誠意を示すべき」 |
| 2026年3月27〜28日 | 中国福建省泉州で第24回外務省協議・第11回南シナ海二国間協議メカニズム(BCM)。比側はヘレラ=リム外務次官。同次官は共同探査の議論は「よくても探索的(exploratory at best)」「複雑」と発言 |
| 2026年4月 | 外務省「EEZ内の資源に対する主権的権利は保持。いかなる合意も憲法およびフィリピン法にのみ従う」 |
| 2026年8月14日 | マルコス大統領が外国メディア昼食会で「任期満了(2028年)までに共同探査は明確な可能性がある」と発言。協議は進展しているとした |
注 憲法上の壁は解けていない。 フィリピン憲法は天然資源開発における国家の完全な支配・監督(60対40の内国資本規制を含む)を要求しており、中国が九段線主張を放棄しない限り、法的に成立させるのは極めて難しい──というのが2022年の打ち切り理由そのものである。2026年の動きは「エネルギー危機による政治的機運の高まり」であって、法的障害の解決ではない。
4. その他の探鉱区・生産区 ── 小粒だが動きはある
4.1 主要サービス契約(SC)一覧
| 契約 | 海域・地域 | 主体 | 2026年8月時点の状況 |
|---|---|---|---|
| SC 38 | パラワン北西沖 深海 | Prime Energy(オペレーター)ほか | 生産中。2039年まで延長。フェーズ4進行中 |
| SC 72 | リード堆(西フィリピン海) | Forum Energy 70%/Monte Oro 30% | 不可抗力・停止中 |
| SC 75 | パラワン北西沖 | PXP系 | 不可抗力・停止中 |
| SC 88(旧SC 14C-1) | パラワン北西沖 ガロック(Galoc)油田 | NPG Pty(オペレーター)、Forum Energy Philippines、Philodrill | 2025年12月18日締結、2026年1月5日発効。約1,000バレル/日を生産 |
| SC 86 | パラワン北西沖 オクトン(Octon)鉱区 | PXP系 | 技術作業計画を準備中 |
| SC 80・SC 81 | スールー海南部(約131.2万ha) | Triangle Energy(豪)、Sunda Energy(英)、PXP Energy、Philodrill | 2025年10月付与。DOE と BARMM 環境天然資源エネルギー省が共同管理 |
| SC 82 | カガヤン堆積盆(48万ha) | Triangle Energy(豪) | 2025年10月付与 |
| SC 89 | セブ アレグリア(Alegria)油田 | Texcal Mahato | 生産再開向け |
| SC 90 | レイテ島陸上 | Matahio Energy Philippines、Ophiolite Energy | 天然水素(natural hydrogen)探査という珍しい案件 |
| SC 53 | ミンドロ島陸上(6,600 km²) | Philodrith(Philodrill)81.48%/Anglo Philippine Holdings 18.52% | 2005年付与。2D探査2,000km・4坑掘削(うち3坑で油ガスを確認するも非商業的)。2020年に一度契約解除→2021年に復活。注 その後の進展は本調査では確認できず(未確認) |
ガロック油田:2008年10月の生産開始以来、累計2,500万バレル超を生産。現在稼働中の井戸はガロック5・6の2本のみ。FPSO「Intrepid Balanghai」を使用。フィリピン最大の油田だが、この程度の規模である。
4.2 PCECP(フィリピン在来型エネルギー契約プログラム)
- DOEが実施する競争的な鉱区付与制度。
- 2025年10月8日、マルコス大統領が一度に8件の石油サービス契約(PSC)を発表。スールー海・カガヤン・セブ・パラワン北西・パラワン東・中部ルソンをカバーし、「一期に付与された最大のバッチ」とされる。契約額は2億700万ドル。
- 商業生産に至った場合の投資見込みを政府は約4,924億ペソと試算。
- マルコス政権発足以降の新規サービス契約は12件(DOE次官アレッサンドロ・サレス)。
- 注 ただしDOE自身が「現時点で判明している埋蔵量は小規模」と認めている。PXPのマヌエル・パンギリナン会長も「探鉱から生産までは何年もかかり、即効薬ではない」と釘を刺している。
4.3 PXP Energy/Forum Energy の位置づけ
- PXP Energy Corporation:マヌエル・V・パンギリナン(MVP)グループ傘下の上場探鉱会社。西フィリピン海の権益を握る「当事者」である。
- Forum Energy Limited:PXPが直接・間接に79.13%を保有する英国系子会社。SC 72 の実質的な権利保有者であり、南シナ海資源問題の民間側主役。
- 財務は苦しい。2025年1〜9月の中核純損失は3,280万ペソ(前年同期1,780万ペソから拡大)、連結売上は22.4%減の5,030万ペソ、販売数量13.5%減の41万4,124バレル、実現価格13.8%減の70ドル/バレル。
- 2026年8月、PXPは投資家・外国パートナーの募集を表明(BusinessWorld 2026年8月3日)。西フィリピン海が動かせない以上、資金と技術を外部から呼び込む必要があるという判断。
5. 石油の輸入依存と2026年エネルギー危機
5.1 構造的脆弱性
- 原油輸入の約95〜98%が中東産。アジア平均の約65%に比べ突出して高い(DOE、Philstar 2026年)。
- 輸入原油の約30%がホルムズ海峡を直接通過し、残りも中東原油に依存するアジアの製油所からの製品輸入である(Philstar)。サウジ・UAEの迂回パイプラインを使ってもホルムズ回避の余地は限定的。
- 製品輸入の相手国(2024年、OEC):韓国36億ドル、中国26.4億ドル、マレーシア13.8億ドル。総額105億ドル。
5.2 2026年の中東紛争と国家エネルギー緊急事態
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2026年2月28日 | 米・イスラエルによるイラン攻撃で戦争勃発。イランがホルムズ海峡を軍事化(同海峡は日量約2,000万バレル=世界消費の約1/5が通過) |
| 2026年3月11日 | シェルがカタール産LNG契約について不可抗力を宣言 |
| 2026年3月18〜19日 | イランのミサイルがカタール・ラスラファンを攻撃。LNG2トレインとGTL設備が損傷。カタールのLNG輸出能力の約17%(年1,280万トン)が停止、復旧に3〜5年 |
| 2026年3月20日 | フィリピンの石油在庫が55〜57日分から45日分に低下 |
| 2026年3月23日 | 大統領府「価格の混乱であって石油危機ではない」 |
| 2026年3月24日 | マルコス大統領が大統領令110号(EO 110)に署名、「国家エネルギー緊急事態」を宣言。世界で最初に宣言した国とされる。UPLIFT支援パッケージを創設 |
| 2026年3月24〜25日 | マラムパヤ基金から200億ペソをDOEに放出(SARO・NCA)。最大200万バレルの燃料調達に充当 |
| 2026年3月25日 | 共和国法12316号署名。LPG・灯油の物品税停止を可能に |
| 2026年3月26日 | エネルギー規制委員会(ERC)が卸電力スポット市場(WESM)の取引を停止 |
| 2026年3月下旬 | ガリン長官「ディーゼルは45日、LPGは25日分しかもたない」。ディーゼル130ペソ/L超、ガソリン100ペソ/L超。3月27日時点で14,485か所中425か所のガソリンスタンドが閉鎖 |
| 2026年4月1〜2日 | 外務省がイランに「非敵対国」指定を要請。イラン外相が比向け船舶の安全通航を保証 |
| 2026年4月8日 | イラン・米国の停戦 |
| 2026年4月11〜15日 | PNOC-ECがマレーシアからディーゼル32.9万バレルを発注。ペトロンが米国の制裁適用除外を得てロシア産70万バレルを発注。DOEは適用除外の延長を申請 |
| 2026年5月13〜15日 | ルソン・ビサヤ両系統が高警戒/赤警戒。輪番停電(rotational brownouts)で約200万人が2〜3時間の停電 |
| 2026年6月30日 | 緊急事態宣言終了 |
この危機がフィリピンの政策議論を一変させた。 マラムパヤの新発見が「ちょうど良いタイミングで来た(arriving at a crucial time)」と評され(China Bank Capital のフアン・パオロ・コレット氏、Philstar 2026年3月28日)、中国との共同開発も、備蓄制度も、一気に現実的な政治課題になった。
5.3 石油備蓄(Strategic Petroleum Reserve, SPR)
- 現行制度:ペトロンは30日分、その他の石油事業者は15日分の在庫保有義務。国家戦略備蓄は存在しない。注 フィリピンは輸入依存が極端に高いにもかかわらず、アジア主要国で戦略備蓄を持たない数少ない国である。
- 2026年5月29日時点の平均在庫は 45.97日分。
- 2026年8月12日、下院委員会がフィリピン戦略石油備蓄(PSPR)法案を可決。民間の商業在庫とは別に60日分の備蓄を創設し、認定された緊急時にのみ放出(価格統制目的の日常的介入には使わない)。DOEが所管、PNOCが実務主体。
- 上院側:ソット上院議長のSB 1934は90日分以上、エスクデロ議員のSB 1993は90〜180日分をバターン州リマイに、最大600億ペソで整備する案。
- ガリン長官の試算では、追加30日分の確保に約300億ペソが必要。
- リバナン議員は「マラムパヤ・ロイヤルティをビサヤ・ミンダナオの沿岸燃料備蓄施設整備に充てるべき」と提案(2026年4月)。
- 注 本資料作成時点(2026年8月24日)でSPR法は未成立。 下院委員会通過段階である。
6. LNG輸入基地とガス調達構造の転換
6.1 稼働中の2基地(ともにバタンガス州)
| 基地 | 事業者 | 形態 | 主な数値 | 供給先 |
|---|---|---|---|---|
| PHLNG(Philippines LNG)/イリハン | Atlantic Gulf & Pacific(AG&P)、比子会社 Linseed Field Power Corp.(大阪ガス・JBIC が出資) | 陸上再ガス化+FSU「Ish」(13.75万m³) | 再ガス化能力 420 MMscf/日、年間3.0 MTPA、貯蔵約20万m³ | イリハン1,200MW ほか。2025年3月時点で1,350MW対応 |
| FGEN LNG ターミナル | First Gen(FGEN LNG) | FSRU「BW Batangas」(16.2万m³)による暫定洋上方式 | 2023年7月着桟、9月コミッショニング。2025年にDOEから25年間の操業許可(POM)取得 | サンタ・リタ1,000MW/サン・ロレンソ500MW/サン・ガブリエル414MW/アビオン97MW(計2,017MW) |
資本構成の動き:東京ガスが First Gen LNG の 20%取得で合意。別途、Prime Infrastructure(ラソン系)が First Gen のフィリピンにおけるガス事業の60%を取得。つまりマラムパヤの上流も、ガス火力の一部も、ラソン系が押さえる構図になりつつある。 2024年3月には、メラルコPowerGen/アボイティスパワー(Therma NatGas)/サンミゲル・グローバルパワーが、PHLNG基地+イリハン発電所の統合LNG事業に 33億ドル規模で共同投資。
6.2 調達構造の転換
| 項目 | 数値 | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|
| LNG輸入開始 | 2023年 | ICIS | |
| 2024年の受入カーゴ | 19カーゴ(すべてスポット調達) | 2024年 | Kpler(報道経由) |
| 2024年の輸入量 | 約117万トン(2023年の約2倍) | 2024年 | ICIS Foresight 予測 |
| 初の長期契約 | Vitol、年80万トン×10年 | 2025年3月 | 報道 |
| 天然ガスに占める輸入LNG比率 | 約46% | 2025年前後 | ICIS/GIIGNL |
| 発電に占めるガス比率 | 14.1%(2023年)→ 17.5%(2024年) | DOE |
注 ここが最も重要な構造変化:フィリピンのガスは「国産100%」から「国産+輸入LNG」の二本立てになり、2028年以降は輸入が主役になる見通しである。RA 12120 の施行規則は国産ガスを輸入LNGより優先調達すると定めているが、そもそも国産量が減れば実効性は限られる。
6.3 法制度:共和国法12120号(フィリピン天然ガス産業開発法)
- 2025年1月8日、マルコス大統領が署名(Republic Act No. 12120, Philippine Natural Gas Industry Development Act)。
- 下流天然ガス産業(PDNGI)の枠組みを創設。送配管・供給に関する法令を統合し、第三者アクセス、託送規程、事業者認定などをDOEに委ねる。
- 2025年4月、DOEが施行規則(Department Circular 2025-4-5)を公布。国産天然ガス由来電力を石油・石炭より優先調達、国産ガスを輸入より優先。
- 法の施行から2年以内にPDNG開発計画を策定、以後3年ごとに見直し。
- 狙いのひとつはフィリピンをアジア太平洋のLNG取引・積替ハブにすること。
- 注 IEEFA などは「高コストと経済的帰結を軽視している」と批判しており、LNG拡大路線には国内でも異論がある。実際、2025年上半期はLNGよりも再エネの方が発電量・容量の増加幅が大きかった(IEEFA)。
6.4 2026年:カタール不可抗力がLNG転換を直撃
- カタールの不可抗力は2026年10月中旬まで延長の見通し(QatarEnergy)。6月には8〜9月分のカーゴ取消をアジア・欧州顧客に通知。損失は年間200億ドル規模。
- 価格:JKM(北東アジア指標)は開戦前(2月27日)10.697ドル/MMBtu → 6月24日時点で15.521ドル/MMBtu(8月限)。約45%高。
- フィリピン国内ではLNG価格が3倍、石炭も最大30%上昇したとされる(2026年エネルギー危機報道)。
- 注 皮肉な事態:2026年は世界的な新規LNG供給ラッシュで「買い手市場」になるはずだった。フィリピンはその前提でスポット調達比率を高めていた。カタールの供給停止がその余剰を消し飛ばした。 長期契約はVitolの年80万トンのみで、残りはスポット露出が大きい。
- これが「国産ガス4.80ペソ/kWh vs 輸入LNG 10.30ペソ/kWh」という比較を政治的に極めて強力にし、マラムパヤ・フェーズ4と西フィリピン海探鉱の双方に追い風を与えた。
7. 海底鉱物資源(参考)── 石油ガスとは別の論点
注 「海底資源」を鉱物(マンガン団塊・コバルトリッチクラストなど)まで含めて論じる日本語記事があるが、フィリピンにおける海底鉱物の商業開発は事実上まだ始まっていない。
- 海砂採取(seabed quarrying):フィリピン埋立公社(PRA)が埋立事業契約を、DENRが最終許可を出す枠組み。DENRは海底採石許可のモラトリアムを実施したと報じられている。鉱山地質局(MGB)は10件の政府採石許可申請を Area Status and Clearance 待ちで受理。
- オフショア鉱業会議所(Offshore Mining Chamber of the Philippines)(2019年設立、7社)は「少なくとも12の外国企業が海底鉱業について打診してきた」としている。
- 深海底鉱業(国際水域):Manila Times は社説で「フィリピンは明確にNOと言うべき」と主張。太平洋島嶼国(フィジー、パプアニューギニア、バヌアツ等)はモラトリアムを求めているが、フィリピン政府の公式方針は本調査では確認できなかった(未確認)。
- 地方の禁止措置と法的限界:2025年3月、パラワン州が新規鉱業許可の50年禁止を可決。一方2025年1月、最高裁がオクシデンタル・ミンドロ州の25年大規模鉱業モラトリアムを鉱業法(RA 7942)違反として無効化。地方自治体の禁止には法的な上限がある。
- 注 ベンハム海膨/フィリピン海膨(Philippine Rise)の海底鉱物に関する2025〜2026年の具体的政策は、本調査では確認できなかった(未確認)。
8. 2026年後半以降の注目点(チェックリスト)
| 論点 | 見るべきポイント | 時期 |
|---|---|---|
| マラムパヤMP4 初ガス | Q4 2026 目標を守れるか。アンビリカル敷設→コミッショニング→ジャンパー接続の進捗 | 2026年10〜12月 |
| バゴン・パガサ1 | 純粋な探鉱井。成功すれば意味は大きいが、結果は未公表 | 未定 |
| SPR法 | 下院委員会通過(2026年8月12日)→ 本会議・上院・両院協議 | 2026年後半 |
| 中比共同開発 | マルコス大統領「2028年までに可能性」。憲法・最高裁2023年判決・2016年仲裁裁定という3つの壁 | 2026〜2028年 |
| SC 72 不可抗力 | SJPCC のクリアランスが出るか。Forum は「海軍護衛が条件」 | 未定 |
| カタールLNG | 不可抗力の10月中旬以降の扱い。復旧に3〜5年 | 2026年10月〜 |
| 2028年ガス供給断層 | 既存井の停止(2027年末想定)とMP4・LNGの穴埋め | 2027〜2028年 |
| PXPの資金調達 | 外国パートナー募集の帰趨(2026年8月表明) | 2026〜 |
9. 用語ミニ辞典
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| SC(Service Contract) | サービス契約。フィリピンでは憲法上、天然資源は国家所有のため、コンセッションではなく国と事業者の役務契約形式をとる |
| PCECP | Philippine Conventional Energy Contracting Program。在来型エネルギー鉱区の競争的付与制度 |
| Bcf / Tcf | 10億立方フィート/1兆立方フィート。1 Tcf = 1,000 Bcf |
| MMscf/日 | 百万標準立方フィート/日。流量の単位 |
| GIP / GIIP | Gas In Place/Gas Initially In Place。原始埋蔵量(地下の総量、可採量ではない) |
| SPE-PRMS | 石油ガスの国際的な資源分類・報告基準 |
| FSRU / FSU | 浮体式貯蔵再ガス化設備/浮体式貯蔵設備 |
| FLET | Flowline End Terminal。海底フローライン末端接続設備 |
| 不可抗力(force majeure) | 契約上の義務履行が不能になった状態の宣言。SC 72では探鉱義務の時計を止める効果を持つ |
| マラムパヤ基金 | 政府取り分(純収益の60%)を積む一般会計特別勘定。用途はエネルギー関連に限定(最高裁判決) |
| 西フィリピン海(West Philippine Sea) | フィリピンが自国EEZに属する南シナ海東部を指すために用いる公式名称 |
10. まとめ ── 3行で
- マラムパヤは枯れかけていたが、2026年のMAE-1(98 Bcf、原始埋蔵量)とカマゴ3(その約2.5倍)で約6年延命し、Q4 2026の初ガスを目指す。ただし元の田の一部を取り戻したにすぎず、LNG輸入への転換は止まらない。
- リード堆(SC 72)は資源ではなく地政学で止まっている。2022年に中比協議が打ち切られ、2026年に中東危機を背景として再燃したが、憲法・最高裁判決・仲裁裁定という壁は動いていない。
- 石油は中東依存95〜98%という極端な構造で、2026年のホルムズ海峡危機が国家エネルギー緊急事態(EO 110)を招いた。備蓄法制はまだ整備途上である。