フィリピンの石炭とエネルギー鉱物 ── セミララ島・輸入依存・脱炭素の三重構造
0. 最初に押さえる3点
| # | 論点 | 要旨 |
|---|---|---|
| 1 | 産炭国なのに輸入国 | 国内生産(ほぼ全量がセミララ島)は年1,500〜2,000万トン規模。一方で輸入は2024年に約3,987万トン(DOE)。国内炭は低品位の亜瀝青炭(sub-bituminous)で、多くの発電所のボイラー設計に単独では合わない。 |
| 2 | 2027年7月14日、SMPCの石炭操業契約(COC No.5)が満了 | DOEは延長を認めず競争入札へ。2026年8月時点で入札は遅延中。SMPC は2026年8月10日に生産目標を1/3以上削減し、462名の人員整理を発表。フィリピンの石炭供給構造が根本から動く可能性がある年。 |
| 3 | モラトリアムは「続いている」が、抜け穴が広がっている | 2020年の新規石炭火力モラトリアムは2026年5月時点で「維持」。ただし2025年10月14日付のDOE通達で自家消費(own-use)・オフグリッド・重要鉱物向けなどの適用除外が明文化された。 |
1. 全体像 ── 数字で見るフィリピンの石炭
1.1 需給の骨格
| 項目 | 数値 | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 国内石炭生産(SMPC) | 19.9 百万トン(過去最高) | 2025 | SMPC開示(PSE、2026年3月) |
| 同上 | 16.0 百万トン | 2024 | SMPC開示 |
| SMPCの国内生産シェア | 「約97%」〜「約99%」 | 2024–2025 | SMPC/IEA『Coal 2025』 |
| 石炭輸入量 | 39.872 百万トン | 2024 | DOE統計(報道引用) |
| 同上 | 35.535 百万トン | 2023 | DOE |
| 同上 | 32.910 百万トン | 2022 | DOE |
| 輸入元シェア(インドネシア) | 約98% | 2024–2025 | 報道/船積データ |
| 国内石炭消費(推計) | 約47 百万トン | 2025 | IEA『Coal 2025』 |
| 同上(見通し) | 約54 百万トン(2025比+15%) | 2030 | IEA『Coal 2025』 |
注 知らないと間違える点①:SMPCの「生産量19.9百万トン」と「輸入量39.9百万トン」を単純に足して国内消費とは呼べない。SMPCは生産量の半分近くを輸出している(下記4章)。「生産量 − 輸出 + 輸入」でないと供給量にならない。
注 知らないと間違える点②:国内生産量の数字は出典で食い違う。Enerdata は2024年の褐炭(lignite)生産を「15 Mt」としており、SMPC開示の16.0百万トンと一致しない。分類(lignite / sub-bituminous)と暦年・会計年の差、洗炭前後の差が原因と思われる。どの機関の統計かを必ず書くこと。
1.2 電源構成での位置
| 指標 | 数値 | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 発電電力量に占める石炭比率 | 約63%(RE約22%) | 2025年時点のDOEデータ(報道引用) | DOE |
| 同上(別データセット) | 約60%(ガス約18%) | 2025年4月〜2026年3月 | 低炭素電力データ集計 |
| 設備容量に占める石炭 | 40.6%(RE 32.9%、ガス15.8%、石油10.8%) | 2025年12月 | DOE |
| 石炭火力設備容量 | 13,006 MW(総設備31,701 MWの41%) | 2025年7月 | DOE「List of Existing Power Plants」 |
「東南アジアで最も石炭依存度の高い系統」という主張について:Ember の分析は、2023年にフィリピンの発電量に占める石炭比率が59.1%(2022年)から61.9%(2023年)に上昇し、ポーランド・中国・インドネシアを上回ったとしている。注 ただしこれは「発電量に占める割合」での順位であり、絶対量では世界17位(Ember、2023年データ)。「世界○位の石炭国」と書くときは指標を必ず特定すること。
2. 資源量と埋蔵量 ── 定義を混同しない
フィリピンの石炭で最も誤用されるのが「25億トン」という数字である。
| 用語 | 数値 | 基準日 | 出典・注記 |
|---|---|---|---|
| 総資源潜在量(total coal resource potential) | 2.53 十億トン | 2005年9月末 | DOE。しばしば「埋蔵量」と誤って引用される |
| 同上(改定後) | 2.37 十億トン | 2020年12月31日 | DOE |
| 原位置埋蔵量(in-situ reserves) | 458 百万トン(潜在量の約18%) | 2005年 | DOE |
| 同上 | 315 百万トン(同13.29%) | 2020年12月31日 | DOE |
| 可採埋蔵量(mineable reserves)とされる値 | 409.3 百万トン(同17%) | 2020年 | 二次分析(DOE集計の再整理) |
| セミララ炭田の資源量 | 約570 百万トン(亜瀝青炭) | ── | DOE系資料。19炭田区中で最大 |
注 知らないと間違える点③: - 「resource potential(資源潜在量/賦存量)」=地質学的に存在すると推定される量。経済性・技術的採掘可能性は問わない。 - 「in-situ reserves(原位置埋蔵量)」=DOEが用いる中間概念。掘削で確認された地層中の量であって、そのまま採れる量ではない。 - 「mineable / recoverable reserves(可採埋蔵量)」=実際に採掘・回収できる量。上の1/6以下になる。
報告基準について:これらのDOE数値は政府推計であって、JORC や NI 43-101 といった国際的な公開報告基準に基づくものではない。SMPCについて確認できたJORC準拠の記述は、2004年11月の Minarco Asia Pacific による独立技術レビュー(パニアン鉱の実証可採埋蔵量52百万トン、原位置石炭210百万トン)と、2006年にオーストラリアのコンサルタント監督下でJORC基準の確認掘削を行ったという記述にとどまる。2026年時点の最新JORC準拠資源量ステートメントは、本調査では未確認。
主要炭田区
1977年の調査に由来する19の炭田区(coal districts)が管理単位。主要なものは以下。
| 炭田区 | 所在 | 特徴 |
|---|---|---|
| セミララ(Semirara) | アンティケ州セミララ島 | 最大。国内生産のほぼ全量。亜瀝青炭 |
| カガヤン=イサベラ(Cagayan–Isabela) | ルソン島北部 | 2026年入札対象(Amulung, Iguig, Benito Soliven, Naguilian, Cauayan) |
| スルタン・クダラット(Sultan Kudarat) | ミンダナオ | 大規模埋蔵とされる |
| マランガス(Malangas) | サンボアンガ | 半無煙炭(semi-anthracite)。残存埋蔵は100万トン強との記述 |
| セブ/ネグロス/アルバイ/スリガオ・デル・ノルテ | 各地 | 小規模坑内掘りが中心 |
注 フィリピンの炭層は褶曲・断層が発達し、連続性に乏しい。島嶼に散在するためインフラ整備も難しい。これがセミララ島以外で大規模開発が進まない地質的理由である。
3. セミララ島と SMPC
3.1 会社の構造
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 社名 | Semirara Mining and Power Corporation(SMPC、PSE: SCC) |
| 沿革 | 1980年2月26日、Semirara Coal Corporation として設立。1999年までに DMCI Holdings が支配権取得。2005年PSE上場。2014年8月に現社名へ改称(発電事業進出を反映) |
| 親会社 | DMCI Holdings, Inc.(Consunji 家、コンスンジ家) |
| 現CEO | Isidro Consunji(イシドロ・コンスンジ) |
| 社長兼COO | Maria Cristina C. Gotianun(マリア・クリスティーナ・ゴティアヌン) |
| 発電子会社 | SEM-Calaca Power Corp.(SCPC)2×300 MW / Southwest Luzon Power Generation Corp.(SLPGC)2×150 MW =計900 MW(バタンガス州カラカ) |
| 従業員数 | 4,045名(2026年7月末、うち2,000名超が受入コミュニティ出身) |
SCPCの2×300 MW は2009年に政府(PSALM)から3億6,200万米ドルで落札取得したもの。SMPCは炭鉱と石炭火力を両方持つ国内唯一の垂直統合型発電事業者とされる。
3.2 生産と業績
| 年 | 石炭生産 | 出荷 | 平均販売価格 | 連結純利益 |
|---|---|---|---|---|
| 2024 | 16.0 百万トン | 16.5 百万トン | P2,853/トン | P19.63 十億 |
| 2025 | 19.9 百万トン(過去最高) | 15.4 百万トン(−7%) | P2,302/トン(−19%) | P13.06 十億(−33%) |
| 2026 Q1 | 5.9 百万トン(+4%) | 4.5 百万トン(−4%) | ── | P3.8 十億(−12%) |
(出典:SMPC の PSE 開示および 2026年3月・4月の各紙報道)
2025年の生産増は、ナラ(Narra)鉱の炭層へのアクセス改善と、2025年5月に DENR から年産2,000万トン規模への環境適合証明書(ECC)修正承認を得たことによる。売上高は2025年に P52.23 十億(−20%)。
電力事業は2025年に販売電力量5,296 GWh(過去最高、+7%)、平均販売単価 P4.38/kWh(−8%)。販売のうち54%がスポット市場(WESM)、46%が相対契約。
3.3 露天掘りの規模とピットの遷移
セミララ島の操業は大規模な露天掘り(open-pit)。石炭操業契約(COC No.5)の対象面積は約13,000 ha、うち2025年6月のECC修正で事業対象区域は 5,221.75 ha に拡大された。
| ピット | 稼働期間 | 備考 |
|---|---|---|
| ウノン(Unong) | 1984–2000 | 閉鎖 |
| パニアン(Panian) | 1999–2016 | かつて国内最大の炭鉱。2013年・2015年の崩落事故現場。現在は修復(rehabilitation) |
| モラベ(Molave) | 2016–2023年11月 | 累計86.06百万トン産出 |
| ナラ(Narra) | 2016– | 残存埋蔵45.43百万トン(会社推計)。2026年に枯渇に近づくとされる |
| アカシア(Acacia) | 未開発 | 推定埋蔵量66百万トン。掘削・準備段階 |
2019年にナラ鉱は湧水(water seepage)で一時停止し、2022年10月に再開している。海面下に及ぶ鉱床であり、Consunji CEO は特殊技術を要すること、残存鉱山寿命は約10年程度と述べている(2026年報道)。
SMPCは DENR に対し約 P291.4 十億(約50.7億米ドル)の5か年拡張計画を提出している。注 ただし後述の契約満了問題により、2026年の設備投資は前年比約70%削減された。
3.4 2013年・2015年の斜面崩落事故
フィリピン石炭産業を語るうえで避けられない2件。いずれもパニアン・ピットで発生。
| 事故 | 日付 | 内容 | 死者 |
|---|---|---|---|
| パニアン西壁崩落 | 2013年2月13日 | 休憩中の13名を西側壁面の崩落が直撃。3名脱出 | 5名死亡+5名行方不明(死亡推定)=計10名 |
| パニアン北壁崩落 | 2015年7月17日 | 降雨誘発型の地すべりで北側壁面が崩落。掘削残土と壁面が作業員と重機を埋没。崩落土量は推定 374,000 m³ | 9名死亡(当初は6名確認+3名行方不明。7月20日までに7名収容) |
行政対応:2013年案件では DOE が数週間の操業停止を命じたのち過失なしと判断し、2013年6月に全面操業再開を許可。2015年案件でも DOE が調査のため操業停止を命じた。SMPCは犠牲者遺族に1人あたり100万ペソの支援、奨学金・住宅供与を表明した。
その他の死亡事故も継続的に報告されている(2016年9月:桟橋のバージ内でガス吸引により3名溺死/2019年10月:モラベ・ピットで土砂崩れにより1名/2020年7月:ナラ・ピット付近で石灰岩の落石により1名 ほか)。
注 知らないと間違える点④:SMPCは「無過失」とされた案件と、操業停止処分を受けた案件が混在する。日本語記事で「行政処分を受けた」と一括りに書くと不正確になる。
3.5 2027年契約満了と競争入札 ── 2026年最大の論点
これが2026年時点で最も動きの大きい論点である。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1977年 | COC No.5 発給(当初35年)。初期13年間は NDC(国家開発公社)が操業 |
| ── | DOEが15年延長。満了日が2012年→2027年7月14日に |
| 2025年12月 | 判断は「来年早々」とDOE |
| 2026年2月 | DOJ(法務省)意見を踏まえ、DOEは「50年を超える更新はできない」と判断。競争入札へ。Garin長官「最安値を選ぶのではなく、最も適格な事業者を選びたい」 |
| 2026年2月 | 2026年 PCECP(Philippine Conventional Energy Contracting Program)石炭・事前指定区域入札ラウンド開始。3地区18ブロック、約18,000 ha |
| 2026年3月 | San Miguel Global Power と子会社 Sual Power が事前説明会に出席。Meralco も入札書類を購入 |
| 2026年5月 | MGen(Meralco PowerGen)が入札不参加を表明。Rubio CEO「デューデリの時間が足りない」「合理的な入札での論理的な勝者はやはりセミララ」。SMPCへの少数株主参画を模索 |
| 2026年7〜8月 | 入札日程が繰り返し延期。9月予定からさらに約2か月遅延の見通し(Garin長官、2026年8月) |
| 2026年8月10日 | SMPCが生産目標を従来の年1,600〜2,000万トンから1/3以上削減、462名の人員整理(DOLEに整理解雇通知)を発表。2026年設備投資も約70%削減 |
| 2026年8月14日 | SMPC株価 P18.44(前週比 −7.8%、前週 P20.00) |
入札対象の資源量(政府提示)
| 対象 | ブロック数 | 面積 | 提示埋蔵量 |
|---|---|---|---|
| セミララ島 | 10 | 約10,000 ha | 約160 百万トン |
| 3地区合計(セミララ+カガヤン+イサベラ) | 18 | 約18,000 ha | 約207 百万トン |
注 この「160百万トン/207百万トン」はDOEが入札用に提示した推定値であり、JORC等の準拠報告かどうかは本調査では未確認。
Garin長官は2026年8月、「SMPCは主に輸出しており、国内発電所向けは一部にすぎない。不足分は国内調達か輸入で対応できる」として、一時的な操業停止リスクを否定している。
4. 「産炭国なのに輸入国」の逆説
4.1 なぜ国内炭を国内で使わないのか
| 理由 | 内容 |
|---|---|
| 品質(rank) | フィリピン産炭の大半は亜瀝青炭(sub-bituminous)および褐炭(lignite)。石炭化度が低く、炭素含有率・発熱量が低い。水分・灰分が高い |
| 発熱量 | セミララ炭の発熱量はおおむね 4,300〜5,000 kcal/kg(着炭ベース) とされる。注 ただしこれは二次情報であり、SMPCの公式製品仕様として確認できたものではない(未確認)。契約上は GAR / NAR の別、公差(±50 kcal/kg でも金額差が大きい)まで確認が必要 |
| スラッギング・ファウリング | パニアン炭層(seam 32/33)の地球化学的研究では、アルカリ・アルカリ土類元素に富み、スラッギング傾向は中〜高、ファウリング傾向は深刻(severe)とされた。ボイラー設計変更や、インドネシア・中国・豪州炭との混炭(blending)で緩和する必要がある |
| ボイラー設計 | 新設の超臨界圧(supercritical)機は高発熱量炭前提の設計が多く、国内炭単独では設計熱入力を満たせない |
| 量 | 可採埋蔵量が小さく、需要(年約4,700万トン、2025年推計)を賄えない |
| 立地・物流 | インドネシアからの海上輸送距離が短く、価格・低硫黄・低灰分の面でも合理的 |
つまり輸入は「量の不足を埋める」だけでなく「品質仕様を満たすための混炭材」という機能を持つ。ここを落とすと構造を説明できない。
4.2 SMPCの輸出構造
| 年 | 輸出先の内訳 |
|---|---|
| 2021 | 中国が輸出の95% |
| 2022 | 中国75%(中国の国内増産・ウクライナ危機の影響) |
| 2023 | 中国65%、韓国27%、ブルネイ4%、残りは日本・インド・ベトナム |
| 2024 | 輸出8.4百万トン(+4%)、うち中国7.6百万トン(+46%)=輸出の約9割 |
| 2025 | インドネシア向け初出荷を実施。低発熱量炭の需要軟化で出荷全体は減 |
2024年の販売16.5百万トンの内訳は国内約8.0百万トン/輸出約8.4百万トン(およそ48:52)。国内向けの多くは自社のカラカ発電所(SCPC・SLPGC)とセメント工場向け(うち20%は関連会社の Cemex Holdings Philippines 向け)。
注 知らないと間違える点⑤:「フィリピンは石炭を輸入している」だけを書くと片手落ち。実際には輸入も輸出も大きい。国内最大手が中国向けに輸出しつつ、国内発電所はインドネシアから輸入している。
5. 石炭火力とモラトリアム
5.1 2020年モラトリアムの中身
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発表 | 2020年10月、Cusi 長官が Singapore International Energy Week で表明 |
| 発効 | 2020年10月27日。2020年12月22日付メモランダムで正式化 |
| 内容 | DOEはグリーンフィールド(新規立地)石炭火力の推薦(endorsement)申請を今後処理しない |
| 対象外 | ① 稼働中の石炭火力、② 既存発電所コンプレックスで確定した拡張計画と用地を持つもの、③ 用地取得・賃借契約が公証済みで、LGUの許認可・決議を得た「実質的進捗のある案件」、④ 環境適合証明書(ECC)とLGU許可を保有する案件 |
| 影響 | 約12 GW のパイプラインのうち、約9.6 GW のグリーンフィールド案件が棚上げになったと報じられた |
5.2 実効性 ── 抜け穴の拡大(2025〜2026年)
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2020年10月末 | モラトリアム発表の3日後、DOEはサンボアンガ・シブガイの石炭鉱区2件の入札を開始(上流の探鉱は対象外) |
| 2025年7月 | Garin長官(就任直後)が、Lotilla環境長官(DENR)が取り消していたAtimonan One Energy(A1E、ケソン州アティモナン、1,200 MW、Meralco系)のモラトリアム適用除外を復活させる。公聴会なし。環境団体・教会系団体・消費者団体が反発 |
| 2025年10月14日 | Garin長官署名のDOE通達(大統領府の指示を受けたもの)。適用除外を明文化: ・自家消費(own-use)/産業団地(PEZA登録の場合はPEZAの推薦が必要) ・オフグリッド案件 ・エネルギー移行に不可欠な重要鉱物(critical minerals)の採掘・製錬向け自家発電 ・オングリッドの新規容量は「宣言された、または差し迫った電力危機、電力供給不足が切迫している場合」など例外的状況に限り許容 ・非対象確認書を持つ発電所には期限付き移行計画を求め、2060年12月31日までに退役またはクリーン燃料への転換 |
| 2026年4月 | 経済企画開発省(DEPDev)Balisacan長官がモラトリアム解除を提案。PCCI(フィリピン商工会議所)も解除を支持。Garin長官「危機時には石炭は依然として最も安価な選択肢の一つ」と含みを持たせる |
| 2026年5月 | DOEは「モラトリアムは維持、解除しない」と明言。Garin長官「既に十分な許可を出しており、追加の石炭火力を認める必要はない」。既許可案件の前倒し完成を促す方針へ |
結論:モラトリアムは「新規の許可を出さない」政策であって石炭火力の削減政策ではない。2020年時点で承認済みの案件(DOE推計で最大約20 GW相当とも)は進行しており、2025年10月通達で例外類型が正式に拡大した。CEED(Center for Energy, Ecology, and Development)の Gerry Arances 事務局長は「例外を設けるたびにDOEは政策目的を掘り崩している」と批判し、Manila Bulletin は「モラトリアム政策の静かな埋葬(silent burial)」と評した(2025年10月)。
6. なぜ石炭から離れられないのか
| 要因 | 内容・数値 |
|---|---|
| 長期相対契約(PSA)のロックイン | TransitionZero の分析では、2024年以降に締結された新規石炭PSAは109件、約2.6 GW、54の配電事業者(DU)が対象。平均残存期間は約10年、最長15年。契約が引取りを保証するため、石炭火力は「契約履行のために焚く」 |
| 最低稼働・最低引取義務 | モデル分析では石炭・地熱・ガスに最低時間稼働率15%以上が設定される(ベースロード挙動・最低引取義務を反映)。高燃料価格シナリオでは石炭・ガスが契約下限まで押し下げられ、約37 TWh がストランド化するとの試算 |
| スポット価格の決定要因 | WESM で石炭火力はしばしば限界(marginal)ユニットとして市場清算価格を決める。相対契約の主力であると同時にスポット価格にも波及 |
| ベースロード論 | Aboitiz Power は「実行可能かつ手頃なベースロード代替なしに石炭を段階的廃止する物理的帰結を考慮すべき」、Meralco PowerGen は「再エネ単独では継続的・増大する需要に足りない」としてLNGを橋渡し燃料と位置づけ |
| 反論 | 2025年の Philippine Energy Transition Dialogue では「なぜピーク需要にベースロード容量を充てるのか。必要なのは変動対応電源だ」との批判。TransitionZero は強制停止(forced outage)の多発がベースロードとしての信頼性を損なっていると指摘 |
| 所有集中 | PCIJ 調査によれば2大コングロマリットで国内供給の約半分。San Miguel Global Power は設備の6割超が石炭(2024年年報)、Aboitiz は正味販売可能容量の48%が石炭(2025年5月時点)。両社とも化石燃料が総容量の75%以上 |
系統の逼迫(2026年の実例)
2026年5月13日、NGCPはルソン・ビサヤ両系統に2026年最初の赤色警報(Red Alert)を発令。
| 日付 | ルソン系統 |
|---|---|
| 5月13日 | 供給可能 12,447 MW vs ピーク需要見込 12,537 MW。赤色警報 15:00–20:00 |
| 5月14日 | 供給可能 約12,479 MW vs 約12,595 MW |
| 5月15日 | 供給可能 13,508 MW vs 13,881 MW(373 MW不足)。4,106 MW が利用不能、5月以降16基が強制停止、中には2019年から停止中のものも |
Meralco 管内では20万件超で輪番停電(平均約3時間)。DOEとERCはNGCPに事故報告を命じた。この逼迫が「石炭モラトリアム見直し論」の直接の燃料になった。
7. 脱炭素圧力とエネルギー移行メカニズム(ETM)
7.1 ETMとは
Energy Transition Mechanism(ETM)は ADB(アジア開発銀行)が2021年に立ち上げた官民イニシアチブ。譲許的融資・出資・保証を組み合わせたブレンデッドファイナンスで、①石炭火力の早期退役・用途転換用ファンド、②クリーンエネルギー新規投資用ファンドの二本立て。ADB・インドネシア・フィリピンでパートナーシップを設立。
7.2 SLTEC の事例(世界初のETM取引)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | South Luzon Thermal Energy Corporation(SLTEC)、バタンガス州カラカ、246 MW |
| 実施 | 2022年11月、ACEN(アヤラ・グループのエネルギー会社)が ETM を用いて SLTEC を完全ダイベスト。世界初のETM取引 |
| 仕組み | SPV への事業譲渡。GSIS が P2.2 十億の償還可能優先株、InLife が P1 十億でエクイティのアンカー投資 |
| 効果 | 最大50年の稼働期間を半減、2040年までに退役またはクリーン技術へ転換。最大5,000万トンCO2の回避・削減 |
| 資金使途 | ACEN への正味手取りの100%を再エネ投資に充当 |
| 2030年前倒し | COP28 で ACEN と CCCI(Coal to Clean Credit Initiative)が「10年前倒し(2030年)」の移行クレジット(Transition Credits)パイロットを検討と発表。2024年8月に ACEN・GenZero・Keppel Ltd. が MOU 締結。2023年以降 MAS(シンガポール金融管理局)とロックフェラー財団と回避排出量算定手法を開発中 |
| 2026年時点の状況 | RMI の分析(2026年2月)では、手法改定・プロジェクト設計・商業実装のスケジュールから「2030年に退役できる可能性がある」にとどまる。財務的成立には逸失キャッシュフロー、廃止費用、契約解除費用、代替クリーン電源の追加費用を2040年ベースラインと比較する必要がある |
注意:法的拘束力を持つコミットメントは依然として2040年。2030年は「移行クレジットが商業的に成立すれば」という条件付きの努力目標である。ここを混同した日本語記事が多い。
7.3 STEAG ミンダナオ(政府保有案件)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | Mindanao Coal-Fired Power Plant(ミサミス・オリエンタル州)、210 MW、2006年運開、STEAG State Power Inc.(SPI)運営 |
| 選定理由 | ADBによれば「フィリピン政府が保有する唯一の資産」であるため |
| 契約 | BOT(建設・運営・移管)で2031年まで。満了後 PSALM に移管、残存稼働年数15年 |
| 退役オプション | PSALM は2026年から合意済みの解約金支払いで BOT を早期解約できる |
| 資金 | CIF(Climate Investment Funds)理事会がフィリピンの ACT(Accelerating Coal Transition)投資計画に5億米ドルを承認。2027年までに最大900 MW の石炭容量の早期退役、2030年までに1,500 MW の再エネ追加を目標 |
| 遅延要因 | 2025年2月、Lotilla長官(当時)が「Agus・Pulangi 水力の長期改修中の供給穴埋めに必要かもしれない」として計画見直しを表明 |
| 2025年9月時点 | DOE の Sinocruz 局長は「ETM対象として確定済みだが、仕組みと時期はなお協議中」。ADB は PSALM と「継続協議中」 |
| 所有 | 2022年に AboitizPower が SPI の69.4%を取得、2024年2月に約85%へ |
注 2026年に取引が成立したことを確認できる情報は本調査では未確認。 2026年の早期退役目標は事実上ずれ込んでいる。
批判:urgewald は ETM の実運用について「透明性の欠如、民間セクターへのインセンティブ供与、公正性と地域参加の統合の失敗」といった構造的欠陥があると指摘している。
8. 2025〜2026年の石炭価格と電気料金への波及
8.1 石炭指標価格
| 指標 | 2024年平均 | 2025年平均 | 2026年8月時点 |
|---|---|---|---|
| Newcastle Index(豪州、6,000 kcal級) | US$135.2/t | US$105.6/t(−22%) | 約 US$130/t 前後(月間レンジ US$127.50–130.90、平均 US$129.65)。52週レンジ US$100.70–152.25、前年比 約+13% |
| ICI-4(インドネシア炭指数、4,200 kcal GAR) | US$53.9/t | US$46.1/t(−15%) | ── |
| HBA(インドネシア政府参照価格、6,322 kcal GAR) | ── | 2025年6月第2期 US$98.61/t(前年同月 US$123/t 比 −19.8%) | 2026年8月第1期 US$124.44/t(7月第2期 US$131.85 から −5.62%、前年同期 US$102.22 比 +21%) |
| HBA低カロリー帯 | ── | ── | 2026年8月後半:5,300 kcal級 US$96.92/t、4,100 kcal級 US$65.81/t |
(2024・2025年平均は SMPC の PSE 開示。2026年の値は Trading Economics/ESDM 発表の報道より)
2026年の価格変動要因:Q2にイラン・米国の衝突とホルムズ海峡リスク、インドネシアの輸出規制でNewcastleが数年来の高値へ急伸。6月の暫定合意で緊張緩和し4か月ぶり安値まで下落した後、7月下旬にインドネシアの供給障害(バリト川の渇水でバージ輸送が滞り、一部鉱山がフォースマジュールを宣言)で再び US$130–136/t へ。8月はインドの増産(7月の石炭生産 6,975万トン、前年比+7.51%)などで US$130 前後の横ばい。
注 知らないと間違える点⑥:HBA は1か月前の船積み実績に基づくラギング指標(ロイヤルティ算定用)であり、スポット価格とは一致しない。「インドネシアの石炭価格」と書くときに HBA なのか ICI なのか FOB スポットなのかを必ず特定すること。
8.2 電気料金への波及(Meralco、2026年)
| 月 | 発電費(P/kWh) | 一般家庭向け総合料金(P/kWh) |
|---|---|---|
| 2026年3月 | 7.8607(+0.2209) | 13.8161 |
| 2026年4月 | 8.3864(+0.5257) | 14.3496 |
| 2026年5月 | 8.7942 | 14.3345 |
| 2026年6月 | 9.0704(+0.2762) | 14.4833 |
| 2026年7月 | 9.2504(+0.1800) | 14.8261(+0.3428) |
主な押し上げ要因(Meralco発表) - 中東情勢の長期化による世界エネルギー市場への影響(PSA分が +P0.2678/kWh、P8.8694/kWh へ) - ペソ安:4月の +P0.5257 は主にペソ安(3月供給月の適用為替が P3以上上昇し P60.748)。First Gas/Prime CoreGen のコストの99%がドル建て - WESM スポット:2026年5月28日にルソン需要が過去最高の 14,534 MW を記録し、スポットは P8.0337/kWh へ。二次価格上限が全時間の 11.1% で発動 - 電源比率(Meralco調達):First Gas/Prime CoreGen 22%、PSA 72%、WESM 6%
注 Meralco が挙げる2026年の要因はガス(LNG)・ペソ安・スポット価格が中心で、「石炭価格の上昇」を単独要因として挙げてはいない。石炭コストは相対PSAを通じて時間差で波及するため、指数の動きが即座に料金に出るわけではない。
9. 石炭税(消費税・excise tax)
9.1 現行の水準
TRAIN法(共和国法10963号)による石炭の物品税(excise tax)の推移。
| 期間 | 税率(1メトリックトンあたり) |
|---|---|
| 1976年〜 | 国内炭は免税 |
| 1988年〜2017年 | P10 |
| 2018年 | P50 |
| 2019年 | P100 |
| 2020年以降(現行) | P150 |
- P10 → P150 は1,400%の引き上げ。
- 物品税に加えて12%のVATがかかる。
- TRAIN法上、P150 が最終税率で、以降の自動引き上げは予定されていない(2023年の下院政策研究局〔CPBRD〕政策ブリーフ時点で P150 のまま)。2026年8月時点でこれを変更する成立法は本調査では未確認。
- 導入時の試算:電気料金への影響は当初 P0.04/kWh、P150 到達時に P0.07/kWh、消費者への転嫁総額 P13.2 十億(2017–2018年当時の推計)。当初 P50 の段階では DOE が発電会社に吸収させる「転嫁禁止(no pass-on)」方針を検討した経緯がある。
9.2 2026年の議論
| 主体 | 立場 |
|---|---|
| OECD(2026年2月『OECD Economic Surveys: Philippines 2026』) | 「石炭が電力の主力である一方、低い物品税がクリーンエネルギーへの転換誘因を損なっている」「モラトリアムは既存施設経由の拡張を防げず不十分」。石炭拡張の全面停止、既存炭火力の早期退役促進、石炭物品税の引き上げとCO2含有量に応じたエネルギー税の整合化を勧告。財政再建策(VAT優遇の段階廃止等)と併せて提言 |
| フィリピン議会 | 進行中の主な法案は炭素税ではなく排出量取引制度(ETS)。HB 6407・HB 6890(国際炭素市場、排出枠配分、金融機関、税制優遇を整理)、HB 2481(従来型の炭素税に近い枠組み)。第19議会では低炭素経済法案(HB 11375)。下院は2026年6月3日に閉会 |
| WWF Philippines | 石炭・天然ガスへの物品税引き上げで政府収入は GDP比 0.25% → 0.50% に倍増しうる。キャップ・アンド・トレード創設より直接課税の方が低コストと主張 |
| CPBRD(議会政策研究局) | 炭素税は既存の物品税・VAT・輸入関税・フランチャイズ税との整合を要し、多数の税制の抜本的再編が必要。「フィリピンの文脈では便益をコストが大きく上回る」と否定的 |
結論:2026年8月時点で、石炭物品税の引き上げはOECDの外部勧告の段階であり、政府提出法案としては確認できない。
10. 未確認・注意すべき点のまとめ
| # | 事項 | 状況 |
|---|---|---|
| 1 | SMPC の JORC / NI 43-101 準拠の最新資源量・埋蔵量ステートメント | 未確認。確認できるのは2004年の Minarco Asia Pacific レビューと2006年のJORC準拠確認掘削の記述のみ |
| 2 | 入札対象の「160百万トン/207百万トン」の報告基準 | 未確認(政府提示値) |
| 3 | セミララ炭の公式製品仕様(発熱量、灰分、硫黄分、GAR/NAR別) | 未確認。「4,300〜5,000 kcal/kg(着炭ベース)」は二次情報 |
| 4 | 2025年通年の石炭輸入量(DOE確定値) | 未確認。確定している最新は2024年の 39.872 百万トン |
| 5 | STEAG ミンダナオの ETM 早期退役の確定日程・成立取引 | 未確認(2026年8月時点で PSALM から拘束力ある解約日の発表なし) |
| 6 | セミララ石炭鉱区入札の最終日程・落札者 | 未確定(2026年8月時点で延期中) |
| 7 | 発電量に占める石炭比率 | 出典により 60%〜63% と幅がある。DOE(総発電量ベース)と Ember/第三者(消費ベース)で差が出る |
| 8 | 「世界○位の石炭依存国」 | Ember は「発電量シェアで世界8位、絶対量で17位」(2023年データ)。指標を必ず特定すること |
11. 用語ミニ辞典
| 用語 | 原語 | 意味 |
|---|---|---|
| 石炭操業契約 | Coal Operating Contract(COC) | PD 972 に基づく石炭開発の権原。SMPC のものは COC No.5 |
| PCECP | Philippine Conventional Energy Contracting Program | DOEの在来型エネルギー(石炭・石油ガス)鉱区入札制度 |
| 環境適合証明書 | Environmental Compliance Certificate(ECC) | DENR-EMB が発給。事業規模の上限を規定 |
| WESM | Wholesale Electricity Spot Market | 卸電力スポット市場 |
| PSA | Power Supply Agreement | 発電事業者と配電事業者の相対電力供給契約。ERCの承認が必要 |
| PSALM | Power Sector Assets and Liabilities Management Corp. | 旧NPC資産・債務の管理売却公社 |
| EPIRA | Electric Power Industry Reform Act(RA 9136) | 2001年電力産業改革法 |
| ETM | Energy Transition Mechanism | ADB主導の石炭早期退役ファイナンス機構 |
| 亜瀝青炭 | sub-bituminous coal | 石炭化度が低く発熱量が低い炭種。フィリピン産炭の主流 |
| GAR / NAR | Gross/Net As Received | 着炭ベース総/真発熱量。契約上の基準が異なると金額が大きく変わる |