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放送・メディア史

情報基準日:2026-08-26 / 分野:文化・宗教・言語

フィリピンのメディアは「アジアで最も自由で、最も危険」と言われてきた。 この二つは矛盾ではなく、同じ構造の裏表である。 規制は検閲ではなく「フランチャイズ(議会が与える営業免許)」と「名誉毀損の刑事罰」という合法的な手段で効く。 2026年の最大の論点は、テレビでも新聞でもなく「ニュースへの信頼が48市場中で最大幅に落ちた」ことである。


0. 最初に押さえる7点

  1. フィリピンの放送は議会が個別の法律で与える「フランチャイズ」が前提。行政の裁量ではなく、立法府が生殺与奪を握る。この一点が他国と決定的に違う。
  2. 1972年の戒厳令で全メディアが物理的に閉鎖され、1986年に再開した。「一夜で全部消えた」記憶が業界の基層にある。
  3. 2020年、最大手 ABS-CBN がフランチャイズを失って停波。2026年現在も放送免許は回復していない
  4. 地方ではラジオが依然として一次メディア。ジャーナリスト殺害の犠牲者が地方ラジオの解説者に集中するのは、それだけ影響力があるから。
  5. 2009年マギンダナオ虐殺(記者32人)は、報道関係者に対する単一事件として史上最悪(CPJ)。
  6. 2021年、マリア・レッサ(Maria Ressa)がノーベル平和賞。同時に、サイバー名誉毀損で有罪判決を受けたままである(2026年8月現在も最高裁係属中)。
  7. 現在の主戦場は Facebook と TikTok。 2026年、週次でニュースに接する経路としてテレビは42%まで落ち、SNS・動画が70%に達した(Reuters Institute)。

1. 年表 ── 押さえるべき節目

出来事
1922 米国人 Henry Herman(Hermann)が電気商社の50W送信機3台でマニラ/パサイの実験放送。同年、ニコルス飛行場から Mrs. Redgrave なる米国人女性が5Wで試験送信した記録もあり、「アジア初」を巡って諸説あり
1924 KZKZ(100W、1110kHz)が正式免許第1号。同年10月に Radio Corporation of the Philippines が買収
1929 KZRC(Radio Cebu) ── マニラ以外で最初の局
1939 KZRH 開局(H.E. Heacock 百貨店系)。戦後の DZRH
1942–45 日本軍占領下。抵抗放送「Voice of Freedom」
1946 James Lindenberg が Bolinao Electronics(後の ABS)設立
1950/03/01 Robert "Uncle Bob" Stewart が Loreto F. de Hemedes Inc. 創業 → 6月14日に DZBB 開局(エスコルタのカルボ・ビル4階、中古機材と払い下げ送信機、580kHz・10kW)。後の GMA
1953/10/23 フィリピン初のテレビ放送(DZAQ-TV Channel 3/Alto Broadcasting System)
1957 ロペス家の CBN が ABS を買収 → ABS-CBN 成立。同年、マグサイサイ大統領の墜落死を DZBB が速報し名を上げる
1961/10/29 DZBB Channel 7 テレビ開始
1972 戒厳令。全メディアが物理的に閉鎖される
1974 RBS が GMA Radio-Television Arts(Greater Manila Area)に。ゴソン/ヒメネス/ドゥアビットの三頭体制へ
1986 ピープルパワー。放送再開・新聞創刊ラッシュ
1992 GMA が衛星ネットワーク化。1996年に GMA Network Inc.
2009 マギンダナオ虐殺(記者32人殺害)
2010 ISDB-T(日本方式)をデジタル方式として採択(2010年6月採用。§5参照)
2012 RA 10175(サイバー犯罪防止法)成立
2020 ABS-CBN のフランチャイズ更新否決
2021 マリア・レッサがノーベル平和賞
2024 CNN Philippines 閉局/SMNI 無期限停止
2025 Inquirer が印刷部門を整理し digital 統合/Manila Bulletin が印刷を3分の1削減
2026 Cumpio 記者に有罪(1月)/上院が FOI 法案可決(5月)/メガマニラのアナログ停波予定(11月22日)

2. 戒厳令 ── 「一夜で全部消えた」経験

1972年9月21日、マルコスが布告1081号に署名。翌22日の Letter of Instruction No.1 でメディアが一斉閉鎖された。

生き残ったのは「クローニー(取り巻き)メディア」だけ

媒体 所有 顛末
Daily Express Roberto Benedicto 戒厳令のわずか4か月前(1972年6月)創刊。9月25日に唯一発行され、部数と広告が急騰
KBS(Kanlaon Broadcasting) Benedicto 布告読み上げの舞台。地方局を吸収
Bulletin Today ── Manila Bulletin も1972年9月にいったん閉鎖されたが、同年11月22日に改題のうえ復刊を許された(=「閉鎖を免れた」のではなく「早期復刊を許された」)(2026-08-25 第2次相互照合で修正)
Business Day ── 継続を許された3紙の一つ。のちの BusinessWorld。同紙自身の社史は「戒厳令期(1972–1981)にマニラで唯一の独立系(independently owned)新聞だった」と記述する
ABS-CBN ロペス家 接収され Benedicto の Banahaw Broadcasting へ
Channel 4 ── National Media Production Center が接収 → 後の PTV

(2026-08-25 第2次相互照合で整理)「唯一」という語を3か所で別々の意味に使っていたため、本稿内で矛盾して見えていた。次のように書き分けること。 - Daily Express = 布告直後(1972年9月25日)に唯一発行された新聞(ベネディクト所有=体制側)。 - Manila Bulletin = 他紙と同様にいったん閉鎖され、約2か月後の11月22日に「Bulletin Today」として復刊を許された。「唯一閉鎖を免除された」「戒厳令下で唯一存続した」は誤り。 - Business Day = 発行継続を許された3紙の一つで、独立系(政権のクローニーでない所有)としては唯一とされる。 つまり「発行が唯一だった時点(9月)」「唯一の独立系だったこと」「唯一閉鎖を免れたこと」は別々の命題であり、3番目は成立しない。

さらに制度面で締め上げられた:公報省令1号・2号(1972年9月25日、印刷にも事前許可)、大統領令36号(同11月2日、全メディアのフランチャイズを取消し、Mass Media Council が認可権を握る)、大統領令90号(1973年1月、流言の処罰)。

「戒厳令下でも新聞は出ていた」は事実だが、それは体制側の新聞だった。 ここを混同すると議論が噛み合わない。

対抗軸として非合法・半合法の「モスキート・プレス(Mosquito Press)」が存在した。1980年のカリンガ族指導者マクリイン・ドゥラグ殺害報道が、主流紙が押し返した最初の転機とされる。


3. 1986年 ── ラジオが革命を動かした

EDSA革命の情報インフラは新聞でもテレビでもなく、教会系ラジオ Radio Veritas(ラジオ・ベリタス、846kHz)だった。

ここから「ラジオ=生活と政治のインフラ」という感覚が定着する。


4. ABS-CBN ── 2020年の免許否決と、その後

何が起きたか

  2020/05/04  25年の議会フランチャイズが期限切れ
  2020/05/05  NTC(国家通信委員会)が停止命令 → 放送停止
  2020/07/10  下院の立法フランチャイズ委員会が
              70対11(棄権1・忌避2)で新フランチャイズ申請を否決

雇用と経営への影響

項目 数値
免許喪失時のグループ従業員数 約11,000人(2020年)
実際の離職・整理(労働雇用省 DOLE 集計) 約5,955人(2022年12月時点)
2019年の売上(Sky Cable 除く) 332億ペソ
2021年の売上(同) 93億ペソ ← 底
2025年の売上(同) 126億ペソ(免許喪失後で最高)
2025年通年の純損失 47.2億ペソ(2024年は60.9億ペソ)
2026年上半期の売上 68.8億ペソ(前年比▲17%)、純損失 18.3億ペソ
有利子負債 205億ペソ → 85億ペソ弱(▲58%、資産売却が寄与)
一般経費・人件費 2019年150億ペソ → 2025年 69億ペソ(▲54%)

2026年、ロペス家と投資家が60億ペソ規模の資本注入を決めた。CEO カルロ・カティグバク(Carlo Katigbak)は「まだ目標地点ではない」としつつ黒字化への流れを強調している(2026年株主総会、Rappler/Manila Bulletin/Daily Tribune 報道)。

放送局からコンテンツ会社へ

2025年6月26日の株主総会で、ABS-CBN は「新フランチャイズの取得を追わない」と表明した。 理由は現実的で、旧来の送信周波数はすでに他社に割り当て済みで、全国ネットの再建はもう不可能というもの。以後は制作・配信に集中する方針。2026年上半期には売上の約84%がコンテンツ事業になった(Rappler 分析)。

第20議会(2025年7月〜)に ABS-CBN のフランチャイズ法案は一本も提出されていない(VERA Files ファクトチェック)。第19議会の5本(Salceda 提出の HB 11252 ほか)は会期終了で失効した。 SNS で定期的に流れる「ABS-CBN がチャンネル2で地上波復帰」という投稿は繰り返し虚偽と判定されている。

現在の配信経路(かなり複雑)

チャンネル 経路
ABS-CBN sa ALLTV2 ビリャール系 AMBS の無料放送枠(2026年〜)
Kapamilya Channel ケーブル・衛星(有料)
A2Z ZOE Broadcasting(宗教系)の周波数を借りる無料放送
ANC ニュース専門(有料)
TFC / iWantTFC 海外向け・配信
DZMM Radyo Patrol 630/DZMM TeleRadyo 後述
YouTube 登録者5,500万人超。東南アジアのメディア・エンタメ系で最多

2021〜2025年は TV5 とのブロックタイム提携が主軸だったが、2025年12月に TV5 側が5年契約を解除通告(広告収益分配金の未送金が理由と説明)。2026年1月1日が TV5 での最終日となった。

受け皿になったのが、マニー・ビリャール(Manny Villar)系 AMBS の ALLTV。 2026年1月2日から Kapamilya Channel 番組(『FPJ's Batang Quiapo』『It's Showtime』『ASAP』『TV Patrol』など)を放送。3月16日に枠名が「ABS-CBN sa ALLTV2」へ改称され、アナログ2ch/デジタル16ch に「ABS-CBN」の名が約6年ぶりに戻った。

皮肉な事実:ALLTV が使う「チャンネル2」の周波数は、もともと ABS-CBN のものだった(2022年に AMBS が取得)。

なお2026年半ばには TV5 との関係が部分的に復活し、ABS-CBN 制作ドラマが TV5 で、TV5 番組が ALLTV 枠で流れる相互乗り入れも報じられている。この業界は「敵対と提携」が短期間で反転する。


5. テレビ各局の現在地

系統 メモ
GMA Network(Kapuso) 民放 1950年創業、2025年に創業75周年。ゴソン(Gozon)/ヒメネス(Jimenez)/ドゥアビット(Duavit)3家の共同支配。2020年以降の一人勝ち
TV5(Kapatid) MediaQuest/MVP系 ABS-CBN 提携解消の影響を強く受けた
PTV-4 政府(大統領広報室 PCO 傘下) 1974年 GTV-4 → 1980年 MBS → 1986年 PTV。1992年 RA7306、2013年 RA10390 で改組
IBC-13 / RPN-9 政府(接収資産) マルコス不正蓄財として接収。民営化は長期停滞
ALLTV / ALLTV2 AMBS(ビリャール系) ABS-CBN 番組の主要な無料放送先(2026年〜)
A2Z ZOE(宗教系)+ABS-CBN ブロックタイム
NewsWatch Plus RPN CNN Philippines 撤退後の後継(2024年7月ソフト開局)

視聴シェア(Nielsen NUTAM 報道値)

期間 GMA TV5 その他
2025年通年 到達率 86.2%(約6,200万人) ── ──
2026年上半期 45.8%、上位50番組中27本が GMA 急落(前年15.5%から) PTV 12.5%/IBC 10.2%(下記参照)

局別数値は業界系サイト経由の報道値が多く、一次資料での確認は未了。 傾向(GMA優位・TV5低下)は複数報道で一致している。

(2026-08-25 相互照合で併記)同じ「2026年上半期 NUTAM」について、分野内資料「スポーツ・音楽・大衆文化」§9-2 は3位以下を次のように記載しており、本稿と食い違う。

本稿(放送・メディア史) スポーツ・音楽・大衆文化 §9-2
1 GMA 45.8% GMA 45.8%(一致)
2 PTV 12.5% PTV 12.5%(一致)
3 IBC 10.2% GTV(GMA系)9.6%
4以下 ── ALLTV2 6.7%/A2Z 5.4%

GMA 45.8% と PTV 12.5% は両資料で一致しているが、3位の局名と数値が違う。 2026-08-25時点で Nielsen の一次資料に到達できず、どちらが正しいかは未確認。出所により数値が異なるものとして両方を残す。引用時は「GMAが45.8%で独走、PTVが12.5%で2位」までを確定的に扱い、3位以下は幅で示すこと。(留意点:IBC-13 は政府接収資産で自社制作が乏しく、GMA系サブチャンネルのGTVを上回る10.2%という水準には説明が要る。)

政府系メディアの規模感

アナログ停波(2026年11月22日)


6. ラジオ ── いまも一次情報の中心

局/ネットワーク 特徴
DZRH(666kHz、MBC/エリサルデ家系) 1939年開局。現存最古の民放2025年Q3・Q4の Kantar Media 調査でメガマニラAM首位
Bombo Radyo Philippines 地方密着型の全国ネット。姉妹FMは Star FM。地方では Bombo が首位を取る市場が多い
DZMM Radyo Patrol 630 / DZMM TeleRadyo ABS-CBN の看板AM。下記参照
DZBB(Super Radyo) GMA系
Radio Veritas カトリック教会系。1986年の主役
Radyo Pilipinas(DZRB) 政府系(PBS)
DWIZ、DZRJ ほか ──

Kantar Media の Radio Diary–CATI 調査(2025年9月13〜21日、420世帯/推計人口2,248万人)によると、メガマニラ人口の約57%(約1,294万人)が調査週にAMラジオを聴取し、平均聴取は1日約3時間・週20時間だった。「ラジオはもう古い」という前提でフィリピンを見ると外す。

DZMM の迷走(知らないと混乱する)

  ~2020/05  DZMM 630kHz(ABS-CBN)
  2020/05    NTC停止命令で停波 → 3日後「TeleRadyo」として映像・配信のみで継続
  2023/06/30 ABS-CBN単独運営を終了 → 下院議長ロムアルデス系 Prime Media
             (子会社 Philippine Collective Media Corp.)との合弁
             「Media Serbisyo Production Corp.」へ
             630kHzは「DWPM Radyo 630」、テレビ側は「TeleRadyo Serbisyo」
  2024/05/27 Prime TV の枠でデジタル無料放送に復帰
  2025/05/29 ブランド回帰。「DZMM Radyo Patrol 630」「DZMM TeleRadyo」に戻す

ノリ・デ・カストロ、チャロ・サントス、ドリス・ビゴルニアら往年の顔ぶれが復帰した。ただし合弁の一角が現職政治家(当時の下院議長マルティン・ロムアルデス)系企業である点は、独立性の観点から論点であり続けている。


7. 新聞 ── 英字ブロードシートとタブロイド

紙名 創刊 メモ
The Manila Times 1898年10月11日 現存最古の英字紙。米西戦争終結の報を受け英国人 Thomas Gowan が創刊
Manila Bulletin 1900年2月2日 海運業界紙として出発。1957年に Hans Menzi、1984年以降は Emilio Yap(華人系)へ。戒厳令下では1972年11月22日に「Bulletin Today」として復刊を許された(〜1986年3月10日)
BusinessWorld 1967年(Business Day として)/1987年に現名称 最古の日刊経済紙。戒厳令下でも発行を許された3紙の一つ
Philippine Daily Inquirer 1985年12月9日 Eugenia Apostol、Betty Go Belmonte、Max Soliven が創刊。EDSA報道で地位を確立。"Balanced News, Fearless Views"
The Philippine Star 1986年7月28日 Soliven、Go-Belmonte、Art Borjal が創刊。Inquirer 創刊メンバーが割れて生まれた
BusinessMirror 2005年 Cabangon-Chua 系

紙の縮小は2025年に一段深くなった

事例 内容
Philippine Daily Inquirer 2025年7月1日付で紙とデジタルを統合。印刷部門の編集要員を整理し、発行主体を Inquirer Interactive Inc. へ
Manila Bulletin 印刷を約3分の1削減。2025年Q1の総収入は1億4,552万ペソ(▲30%)、新聞販売は約半減の6,500万ペソ。中間選挙の広告特需が来なかった。ただし黒字は維持
Baguio Midland Courier 北部ルソン最古の地方紙が休刊。地方ジャーナリズムの後退の象徴

信頼・到達(Reuters Institute Digital News Report 2025):ブロードシートで到達最大は Inquirer(週次25%)、信頼度も63%で最上位。媒体全体では GMA News に次ぐ第2位だった。

タブロイドの規模を過小評価しない

英字ブロードシートより、タガログ語タブロイドの方が売れてきた。 例:Pilipino Star Ngayon の2012年部数は 502,083 に対し、姉妹紙 The Philippine Star は 262,285(月〜土)。同じ会社の中で母語紙が英字紙の倍近く出ていた。

部数の監査済み数値はほとんど公開されておらず、流通する数字は2012〜2017年前後のものが多い。以後の減少幅は大きい。


8. 危険 ── 「最も自由で最も危険」の実体

2009年 マギンダナオ虐殺(Ampatuan massacre)

項目 内容
日付 2009年11月23日
死者 58人。うち報道関係者32人
位置づけ 報道関係者に対する単一事件としては史上最悪(CPJ)
判決 2019年12月19日、ケソン市地裁221部。アンパトゥアン兄弟ら28人を殺人57件で有罪(reclusion perpetua/40年)、15人は従犯(6〜10年)、55人は無罪
なぜ「57件」か 遺体が発見されなかった Reynaldo "Bebot" Momay 記者が罪状から外れたため。遺族は「58人目」として認定するようCAに求めている(2025年11月)
上訴の現状 主要有罪判決の統合上訴は、2025年末時点で控訴裁判所(CA)に係属したまま未決着。19人の遺族が「16年待った」として早期処理を要請
逆方向の確定 2025年、最高裁が Datu Akmad "Tato" Ampatuan の無罪を確定(一事不再理)。他方 CA は検問所警官 SPO2 Bakal について、地裁の「重大な裁量権濫用」を理由に無罪を覆して有罪とした例もある
未解決点 起訴対象は197人。首謀者とされた父アンダル・シニアは2015年に勾留中に死亡。多数の容疑者が未逮捕

殺害件数と免責(インピュニティ)

レッドタギングと「法の武器化」── Cumpio 事件


9. Rappler、マリア・レッサ、サイバー名誉毀損

RA 10175(2012年サイバー犯罪防止法)

論点 内容
条文 第4条(c)(4) ── 刑法355条の名誉毀損をコンピュータ・システム経由で行った場合を犯罪化。量刑は通常の名誉毀損より一段重い
合憲判断 Disini, Jr. v. Secretary of Justice(G.R. No. 203335 ほか、2014年2月11日)第4条(c)(4)〈サイバー名誉毀損〉は合憲。ただし「幇助」条項(第5条)は名誉毀損については無効 → 「いいね」や単なるコメントでは原則問われない。責任は原著者のみ
違憲無効となった条項 (2026-08-26 追記)同判決は RA 10175 の3か条を全面的に違憲無効とした──①第4条(c)(3)(unsolicited commercial communications=スパム。表現の自由に反する)、②第12条(トラフィックデータのリアルタイム収集。特定性を欠きプライバシーを侵害)、③第19条(コンピュータデータへのアクセスの制限・遮断=いわゆる takedown 条項。令状なしに DOJ が遮断を命じうる点が令状主義と表現の自由に反する)。また第5条(幇助・未遂)は、第4条(c)(2)〈児童ポルノ〉・第4条(c)(3)・第4条(c)(4)に適用される限りで違憲「フィリピンでは DOJ が RA 10175 第19条でサイトを遮断できる」と書くのは誤り(出典:最高裁 E-Library 掲載 G.R. No. 203335 全文 https://elibrary.judiciary.gov.ph/thebookshelf/showdocs/1/56830/Columbia Global Freedom of Expression 判例データベース)
時効 Causing 事件で最高裁は「1年」と判断(2023年)。ネット上には12年・15年を前提にした古い解説が残っており要注意
改正の実績 (2026-08-26 改正確認)RA 10175 は一度だけ「部分廃止」されている。RA 11930(Anti-OSAEC・CSAEM法、2022年7月30日に署名なしで法律化)の廃止条項が、RA 10175 第4条(c)(1)(児童ポルノ関連)と RA 9775(反児童ポルノ法)を廃止した。サイバー名誉毀損の第4条(c)(4) は存置であり、レッサ/Rappler 事件の根拠条項は今も生きている。OSAEC事件では RA 11930 が RA 10175 第15・16条(令状・データ保管)の特則を置く(出典:RA 11930 廃止条項/DOJ 掲載 RA 11930 IRR)
改正論議 名誉毀損の非犯罪化(民事化)法案が継続審議中。2026年8月時点で、RA 10175 の名誉毀損条項を改正した共和国法は成立していない(第20議会の HB 1333・HB 2249 はいずれも法案段階)

レッサ/Rappler の現況(2026年8月時点)

案件 状態
サイバー名誉毀損(2012年記事、2014年再掲、2019年提訴) 2020年6月に有罪、2022年10月に控訴裁が是認し刑期を加算。最高裁で係属中
政府側の異例の動き 2026年3月6日付(3月9〜10日公表)で訟務長官(Solicitor General)Darlene Berberabe が最高裁に「無罪とすべき」との意見書を提出。理由は Causing 判例による時効(1年)の徒過
外資所有(証券法違反) 2025年に無罪
脱税 2023年1月に租税裁判所が無罪、2025年2月に確定
アンチ・ダミー法(パシッグ) 無罪

10. 報道の自由度ランキング(RSF 世界報道自由度指数)

順位 スコア
2025 116位/180 49.57
2026 114位/180 46.79

「順位が上がった=改善した」ではない。スコアは 49.57 → 46.79 に悪化している。 他国の悪化幅の方が大きかったため、相対順位だけが2つ上がった。 PTFoMS は「21年ぶりの高順位」と発表したが、Rappler や Philstar はこの読み違いを明示的に指摘した。

2026年の指標別内訳(カッコ内は順位)

指標 2026 2025
政治 39.19(113位) 39.62
経済 34.50(131位) 39.58
法制 49.20(118位) 52.40
社会 57.05(96位) 54.69
治安 54.03(117位) 61.57

経済指標が全項目で最低(131位)。治安スコアは7ポイント以上下落し、最悪区分(「非常に深刻」)まで約6ポイントの位置にある。

RSF が挙げた要因:名誉毀損の刑事罰とサイバー名誉毀損の重罰化、テロ関連容疑の濫用(Cumpio 事件を名指し)、免責の常態化(マギンダナオ虐殺を例示)、所有集中と政治家一族の関与(マルコス大統領のいとこである元下院議長マルティン・ロムアルデスの影響力拡大を「いっそう懸念される」と表現)。

世界全体でも2026年は「指数25年の歴史で初めて、半数超の国が『困難』『非常に深刻』に区分された」年である。


11. 所有構造 ── ここが「自由なのに脆い」根っこ

RSF と VERA Files の Media Ownership Monitor(MOM)(2016年実施/2024年5月に更新版を公表)による分析:

マルコスが1972年に全局を閉鎖し、1986年後に一部が返還されて復活し、2020年に再び最大手が止まった ── この循環そのものが、この国のメディア史である。


12. 近年の閉鎖・停止事例(2024年以降)

事例 内容
CNN Philippines 2024年1月31日で全面停止。運営は Nine Media(ALCグループ)。累積損失は50億ペソ超と報道され、約300人が職を失った。2022年の選挙特需が来なかった(広告費がインフルエンサーへ流れた)ことが決定打とされる
SMNI(Apollo Quiboloy 系 Swara Sug Media) 2023年12月21日に NTC が30日間の業務停止 → 従わなかったとして2024年1月18日付で無期限停止。発端は司会者による「ロムアルデス下院議長が外遊に18億ペソ」という虚偽発言。2024年3月20日、下院が284対4でフランチャイズ取消法案(HB9710)を三読通過。 ただし上院の同意と大統領署名がなければ取消は成立せず、2026年8月時点で法律にはなっていない。行政処分(NTC)と立法上の取消は別物である

フランチャイズ制度は、政権が誰であれ「気に入らない放送局を止められる装置」として機能してしまう ── これが ABS-CBN と SMNI の共通の教訓である。NUJP は SMNI の停止についても「歓迎すべきではない」と、先例化のリスクを警告した。


13. 情報流通の現在 ── SNSへの移行と信頼の崩落

Reuters Institute Digital News Report 2026(オックスフォード大/YouGov、48市場・9.7万人、比国内サンプル2,021人)より:

指標 2025 2026
「ニュースをおおむね信頼する」 38% 28%(▲10ポイント、48市場中で最大の下落幅)
ニュース源としての Facebook 65% 79%
同 YouTube 50% 45%
同 TikTok 29% 33%
Facebook でニュース動画を見る 58% 66%
TikTok でニュース動画を見る 30% 36%

週次接触率の地殻変動(2020年→2026年)

経路 2020 2025 2026
SNS・動画 ── 66% 70%(唯一の伸び)
テレビ 66% 46% 42%
ニュースサイト・アプリ 60% 50% 42%
ラジオ 25% 17% 14%
印刷 22% 13% 10%

14. 制度・法整備の現在地

項目 状態(2026年8月)
情報公開(FOI) 2026年5月4日、上院が「People's Freedom of Information Act」(SB 1432)を22対0で三読可決。対象は行政・立法・司法の三権、憲法機関、地方自治体、GOCC、国立大学まで。大統領・副大統領・閣僚・議員・最高裁判事・将官級のSALN公開義務も含む。Right to Information Commission を新設する構想
ただし未成立 下院版(Right to Information Act)は委員会通過段階で、両院協議会(bicam)が必要。LEDAC は2026年6月成立を目標としていたが達成されていない。現行の運用根拠は依然として2016年の大統領令第2号(行政府のみ、除外166項目)
名誉毀損の非犯罪化 法案審議中(民事責任への転換案)。成立に至らず。国連特別報告者カーンの勧告項目
レッドタギング 2024年に最高裁判例あり。NTF-ELCAC は存続
デジタル移行 2026年11月22日にメガマニラでアナログ停波予定。全国は2028年目標

15. 日本から見るときの実務メモ


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