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フィリピン映画史

情報基準日:2026-08-26 / 分野:文化・宗教・言語

東南アジアで最も早く映画製作が始まり、最も多くのフィルムを失った国。それがフィリピンである。年間製作本数でアジア有数だった時期がありながら、戦前作品はほぼ全滅し、いま業界は配信への移行と製作本数の激減という二重の転換点にある。以下、通史と現在地を整理する。

全体の見取り図

時期 呼称・特徴 代表的な担い手
1897〜1919 移入と黎明。1919年に初の国産長編 ホセ・ネポムセノ(José Nepomuceno)
1930s〜40s トーキー化とスタジオ設立、戦争による断絶 LVN、サンパギータ(Sampaguita)
1950年代 第一次黄金期。スタジオ制の完成 マヌエル・コンデ、ラムベルト・アベリャーナ、ヘラルド・デ・レオン
1960年代 スタジオ制崩壊、独立プロ乱立、「ボンバ(bomba)」映画
1972〜1986 第二次黄金期。戒厳令下の検閲と抵抗 リノ・ブロッカ、イシュマエル・ベルナル、マイク・デ・レオン
1990年代 商業化と量産、質の低下 リーガル(Regal)、ヴィヴァ(Viva)ほか
2000年代〜 デジタル・インディペンデント運動、国際映画祭での躍進 ブリランテ・メンドーサ、ラヴ・ディアス
2020年代 配信主導への構造転換、劇場市場の縮小 Netflix、VMX(旧Vivamax)

黎明期 ── 東南アジア最初の国産長編

フィリピンでの最初の映画上映は1897年1月1日、マニラ・カリエドのサロン・デ・ペルティエラ(Salón de Pertierra)とされ、東南アジア初の映画興行にあたる。翌1898年にはスペイン人アントニオ・ラモスがリュミエールのシネマトグラフで現地風景を撮影した。

初の国産長編は『Dalagang Bukid(田舎娘)』(1919年9月12日公開)。ホセ・ネポムセノが監督・製作し、当時人気のサルスエラ(音楽劇)を映画化した。製作費約2万5千ペソに対し興行収入約9万ペソという当時としての大ヒットで、無声映画だったため主演のアタン・デラ・ラマ(Atang de la Rama)が上映のたびに劇場で生歌を披露したという逸話が残る。

ネポムセノ作品は現存しない。マラヤン・ムービーズ(Malayan Movies)のスタジオが1921年と1923年に火災に遭い、さらに1945年のマニラ市街戦で残存プリントが失われた。戦前に製作された350本以上のうち、米国統治期の作品で現存が確認できるのは5本のみとされる(Bliss Cua Lim ほかの研究)。

1932年の『Ang Aswang』が初のトーキー長編。1937年にサンパギータ・ピクチャーズ、1938年にLVNピクチャーズ(創設者3名 De Leon / Villongco / Navoa の頭文字)が設立され、1939年時点で11社が年間約50本を製作する体制ができていた。

第一次黄金期(1950年代)── スタジオ制と国際進出

戦後復興とともに、LVN・サンパギータ・プレミア(Premiere Productions、1946年設立)・レブラン(Lebran)の「ビッグ4」がハリウッド型のスタジオ制を確立した。専属スター、専属技術者、垂直統合された配給・興行を持ち、最盛期には約1万人を雇用し、フィリピン映画の製作・配給・興行の9割超を握ったとされる。

マヌエル・コンデ(Manuel Conde)の『Genghis Khan』は1950年にフィリピン公開され、1952年のヴェネチア国際映画祭に出品された。米批評家ジェイムズ・エイジー(James Agee)が再編集と英語ナレーションに関わり、出品を後押ししたと研究者ニカノール・ティオンソン(Nicanor Tiongson)が述べている。同作は1952年にヴェネチアとカンヌで上映された最初のアジア映画とされ、そのプリントも一度は行方不明になったが後年発見され、2012年9月にヴェネチアで修復版が世界初上映された。

美術は国民芸術家カルロス・"ボトン"・フランシスコ(Carlos "Botong" Francisco)が担当した。ほかにラムベルト・アベリャーナ『Anak Dalita』、ヘラルド・デ・レオン作品などが国際的評価を得た。1952年にはFAMAS賞(Filipino Academy of Movie Arts and Sciences)が創設されている。

第二次黄金期(1970〜80年代)── 戒厳令下の検閲と抵抗

1972年のマルコス(Ferdinand Marcos)による戒厳令布告は、逆説的にフィリピン映画史上もっとも刺激的な時期を生んだ。政権は検閲で政治的主題を封じる一方、性愛描写中心の「ボンバ」映画や逃避的な娯楽作を事実上黙認した。作り手たちは家族メロドラマや通俗ジャンルの外形を借りて、体制批判を寓意として埋め込む方法を編み出した。

リノ・ブロッカ(Lino Brocka, 1939-1991)

『Maynila sa mga Kuko ng Liwanag(マニラ 光る爪)』(1975)は、恋人を捜して首都をさまよう地方出身の青年フーリオを通じ、都市の搾取構造を描いた。政治的主張を直接口にしない語り口で検閲を通過しつつ、国際的評価を得た。

『Insiang』(1976)はスラムの母娘の物語で、検閲当局の圧力で結末が変更された。1980年にはカンヌ国際映画祭で上映され、のちにマーティン・スコセッシのワールド・シネマ・プロジェクトによって修復されている。ほかに『Jaguar』『Bona』『Bayan Ko: Kapit sa Patalim』。ブロッカは1985年に扇動罪で逮捕され、マルコス政権崩壊後の1986年憲法制定委員会の委員を務めた。1991年に交通事故死。

イシュマエル・ベルナル(Ishmael Bernal, 1938-1996)

『Manila by Night』(1980)は検閲史の教科書的事例である。イメルダ・マルコス(Imelda Marcos)が「私の街を貶める」として題名変更と輸出禁止を求め、国内公開時の題名は『City After Dark』に変更、作品中の「マニラ」への言及もすべて削除させられた。娼婦、麻薬中毒の作曲家、レズビアンのクラブ経営者、タクシー運転手らの群像劇で、一度は上映禁止となり、ベルナルは登場人物が「改心」するコーダを付け加えて解禁を勝ち取った。ベルリン国際映画祭への出品も阻まれている。1500時間をかけた修復版が近年ウディネ(Far East Film Festival)で無修正の150分版として世界初上映された。

『Himala(奇跡)』(1982)はノラ・オーノール(Nora Aunor)主演で、フィリピン映画の最高峰としばしば呼ばれる。ベルナルはガワッド・ウリアン(Gawad Urian)賞の最優秀監督賞を4度受賞し、検閲反対運動「Free the Artist」やConcerned Artists of the Philippinesに関わった。

マニラ・フィルムセンターと国際映画祭

イメルダ・マルコスはカンヌに対抗する国際映画祭を企図し、CCP(フィリピン文化センター)敷地内にマニラ・フィルムセンター(Manila Film Center)を突貫工事で建設させた。1981年11月17日未明に足場が崩落し、多数の作業員が速乾コンクリートに巻き込まれた。報道管制が敷かれ救助が9時間遅れたとされ、犠牲者数は公式発表3名から169名まで説が分かれ、いまだ確定していない。第1回マニラ国際映画祭は1982年1月18〜29日に強行開催されたが、2回で途絶えた。

同時期にはマルコス政権下で実験映画支援機関ECP(Experimental Cinema of the Philippines)も設立され、規制と振興が同居する奇妙な構造をつくっていた。

現代 ── 国際映画祭での躍進

ブリランテ・メンドーサ(Brillante Mendoza)

2007年『Foster Child』でカンヌ監督週間デビュー、2008年『Serbis』でコンペ入り、2009年『Kinatay』でフィリピン人初のカンヌ監督賞を受賞した。2015年『Taklub』(ある視点部門)でエキュメニカル審査員賞、2016年『Ma' Rosa』でジャクリン・ホセ(Jaclyn Jose)がフィリピン人および東南アジア初のカンヌ女優賞を獲得。2014年にはフランスの芸術文化勲章シュヴァリエをフィリピン人として初めて受けた。近作では日本の奥田瑛二らが出演する犯罪ドラマ『Chameleon』が2025年カンヌで国際セールスに乗せられ、Netflix配信作『Pula』でココ・マーティン(Coco Martin)と再タッグを組んでいる。

ラヴ・ディアス(Lav Diaz)

「スロー・シネマ」の代表格で、上映時間が極端に長い作品群で知られる。

作品 上映時間 主な受賞
Batang West Side 2001 5時間15分 ブリュッセル ゴールデン・アイリス
Evolution of a Filipino Family 2004 10時間24分 ガワッド・ウリアン複数受賞
Melancholia 2008 7時間27分 ヴェネチア オリゾンティ部門最高賞
Norte, the End of History 2013 4時間10分 カンヌ「ある視点」
From What Is Before 2014 5時間39分 ロカルノ 金豹賞
A Lullaby to the Sorrowful Mystery 2016 8時間9分 ベルリン 銀熊賞(アルフレート・バウアー賞)
Ang Babaeng Humayo(The Woman Who Left) 2016 3時間49分 ヴェネチア 金獅子賞
Magellan 2025 2時間44分 バリャドリッド 金の穂賞

『Ang Babaeng Humayo』はトルストイの短篇「神は真実を見給う、されど……」に着想を得た白黒作品。冤罪で30年服役した元教師オラシア(演:チャロ・サントス=コンシオ/Charo Santos-Concio、ABS-CBN元社長で復帰作)が、1997年のアジア通貨危機下の地方都市で復讐と赦しのあいだで揺れる。2016年ヴェネチアで金獅子賞を受賞、フィリピン映画初の快挙となった。共演にジョン・ロイド・クルス(John Lloyd Cruz)。

2025年の『Magellan』はガエル・ガルシア・ベルナル主演、ポルトガル・スペイン・フィリピン・フランス・台湾の合作で、5月18日にカンヌで世界初上映。マゼランを英雄ではなく「自らの虚無に向き合う男」として描いた。フィリピン映画アカデミーによりアカデミー賞国際長編部門の代表作に選ばれたが、2025年12月にショートリストからは漏れた。北米配給はJanus Films。

2026年は新作『Makikiraan Po(英題 Let Us Through, Dear Ancestors)』が第83回ヴェネチア国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門に選出された(ラインナップ発表は2026年7月23日)。17世紀のスペイン植民地支配を扱い、2時間31分と彼としては短い部類。撮影は2025年12月〜2026年3月、主演はクリスチャン・バブレス(Christian Bables)とユル・セルボ(Yul Servo)。ギリシャのHereticが国際セールスを担当。ディアスは同時期のヴェネチア・ギャップファイナンシング・マーケットにも別企画で参加している。

インディペンデント映画祭

商業映画 ── スター・シネマとヴィヴァ

主要プレイヤーはスター・シネマ(Star Cinema/ABS-CBN Studios)ヴィヴァ・フィルムズ(Viva Films)リーガル・フィルムズ(Regal Films)GMAピクチャーズ、そして近年のコーナーストーン(Cornerstone)など。テレビ局系のスタジオがスターと宣伝力を握る構造で、ロマンティック・コメディ/ロマンティック・ドラマが最大の収益源である。

歴代興行収入トップ10(ワールドワイド、Wikipedia集計)

作品 製作 興収
1 Hello, Love, Again 2024 ABS-CBN Studios / Star Cinema / GMA Pictures 約16億ペソ
2 Rewind 2023 Star Cinema ほか 約9.24億ペソ
3 Hello, Love, Goodbye 2019 Star Cinema 約8.80億ペソ
4 The Hows of Us 2018 Star Cinema 約8.10億ペソ
5 The Super Parental Guardians 2016 Star Cinema 約5.98億ペソ

『Hello, Love, Again』(キャスリン・ベルナルド/Kathryn Bernardo、アルデン・リチャーズ/Alden Richards)はフィリピン映画で初めて世界興収10億ペソを超えた。米国では248館で初週240万ドルを稼ぎ、全米興行ランキング8位に入った。前作『Hello, Love, Goodbye』(2019)と同様、海外出稼ぎフィリピン人(OFW)を主題にしている点は、この国の観客構造を象徴している。

フィリピンでは公式の興行成績集計機関が弱く、報道される数字の多くは業界筋の「非公式」推計である。媒体によって同じ作品の数字が大きく食い違うことがあるので、単一ソースを鵜呑みにしないこと。

MMFF(メトロマニラ映画祭)

MMFFは単なる映画祭ではなく、年末に全国の劇場から外国映画を締め出す制度である。3D/IMAX上映を除き、12月25日から約2週間、劇場は選出作品のみを上映する。

2025年(第51回、2025年12月25日開幕)は不振が目立った。業界筋の6日間(12/25〜30)集計では8作品合計約3億5080万ペソで、5億ペソの節目に届かなかった。首位はバイス・ガンダ(Vice Ganda)とナディーン・ラストレ主演の『Call Me Mother』(Star Cinema/Viva/IdeaFirst、200館超)で6日間約1億8639万ペソ、2位『Shake, Rattle & Roll: Evil Origins』約6654万ペソ、3位『Unmarry』。ラインナップがドラマに偏り、子ども向け・アクションが不在だったことが不振の一因とされた。

(2026-08-25 相互照合で注記)同じ第51回MMFFについて、分野内資料「スポーツ・音楽・大衆文化」§11-2 は別の集計期間の数字を挙げている ── 初日:『Call Me Mother』約4,900万ペソ/祭全体 約9,800万ペソ、延長興行込みの最終:『Call Me Mother』約3億9,200万ペソ、2位『Shake, Rattle & Roll: Evil Origins』約1億400万〜1億4,000万ペソ、3位『UnMarry』約4,800万ペソ。「初日」「6日間」「延長込み最終」の3系列であり、矛盾ではないが、期間を書かずに引くと必ず食い違って見える。 ただし同§11-2の「8作品すべてが初日1,000万ペソ超え」という記述は初日全体9,800万ペソと算術的に両立しないため、そちらは内部不整合として保留扱いにしてある。MMFF実行委は会期中の興収を公式発表しないため、いずれも業界推計(unofficial)である。

配信の影響 ── Netflix と VMX(旧Vivamax)

2020年代フィリピン映画の最大の変数は配信である。FDCP(映画開発評議会)とデ・ラ・サール大学の調査(2024年)では、回答者の67%が主に配信で映画を観ると答え、劇場に定期的に行くのは21%にとどまった。

VMX(旧Vivamax) ── ヴィヴァ系のSVOD。2021年1月に Vivamax として開始、2024年10月に VMX へ改称。姉妹サービスの Viva One が家族向け、VMX が成人向けを担う。加入者数は2024年6月時点で全世界1100万人超(ヴィヴァCEO ヴィンセント・デル・ロサリオ発言)、2025年5月時点で1700万ユーザーとする記載もある(Wikipedia、要確認)。2025年には68本を配信。

VMXは「エロティック映画」路線で劇場市場の縮小をかいくぐった。2025年には初の劇場公開作『Unang Tikim』を出し、10月には成人向け映画祭「CineSilip」を初開催(フェスティバル・ディレクターはロナルド・アルゲリェス)。ヴィヴァ側は「セクシー作品はライブラリの約1割にすぎない」と反論している。2024年12月にはヒンゴイ・エストラーダ上院議員が同プラットフォームを名指しで批判し、MTRCBは「Responsableng Panonood」キャンペーンの枠組みで自主規制の妥協点を探っている。

Netflix ── 2026年、フィリピン独自のオリジナル5本(シリーズ3、映画2)を初めて打ち出した。エリック・マティ(Erik Matti)監督・アン・カーティス主演で2018年の『BuyBust』世界を拡張するディストピア・アクション『BuyBust: The Undesirables』、レイ・レッド(Rae Red)監督の民間伝承ホラー『Balaraw』などが並ぶ。2026年1〜6月にNetflix PHで初配信されたフィリピン映画12本のうち8本が同国内で視聴数1位を記録した。

検閲機関 MTRCB

MTRCB(Movie and Television Review and Classification Board/映画テレビ審査分類委員会)は現在も「分類」の名の下に上映可否を左右する権限を持つ。現議長はララ・ソット(Lala Sotto)。

近年の主な事例:

作品 措置
Abominable 2019 上映禁止(南シナ海「九段線」描写)
Uncharted 2022 上映禁止(同上)
Alipato at Muog 2024 商業施設での上映を事実上不可に。活動家ホナス・ブルゴス失踪を扱うドキュメンタリー
Dreamboi 2025 X指定(実質公開不可)
The Carpenter's Son 恒久的上映禁止

検閲圧力は独立系映画祭にも及ぶ。西フィリピン海の漁民を追った『Food Delivery: Fresh from the West Philippine Sea』は2025年のPuregold CinePanalo映画祭のラインナップから突然外された。『Lost Sabungeros』はシネマラヤ2024で上映中止、『A Tale of Filipino Violence』はシネマラヤ2023のオープニング作品から降ろされた。フィリピン監督組合(Directors' Guild of the Philippines)は連帯声明を出し、MTRCB改組を求める声が続いている。

フィルム・アーカイブの危機

フィリピン映画史を語るうえで避けられないのが「作品が残っていない」という事実である。

現在の担い手

日本での上映・配給

フィリピン映画の日本での商業公開はきわめて限定的で、実質的に映画祭・特集上映が窓口になっている。

2025〜2026年の業界の現在地

フィリピン映画界はいま、はっきりとした収縮局面にある。

押さえておくと理解が早い5点

  1. フィリピンには「黄金期」が2つある(1950年代/1970-80年代)。単に「黄金期」と言うと話が噛み合わないことがある。
  2. 戒厳令は映画を殺さず、むしろ寓意という技法を発達させた。ただし『Manila by Night』の改題のように、実害としての検閲も甚大だった。
  3. MMFFは映画祭であると同時に外国映画を締め出す制度であり、その起源はマルコス政権の記念事業である。
  4. フィルムが残っていない。古典の話をするとき、「観られるかどうか」がまず問題になる国である。
  5. 興行数字の多くは非公式推計。数字を引用するときは出典と時点を必ず添えること。

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